TA38 (水雷艇)とは? わかりやすく解説

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TA38 (水雷艇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 13:58 UTC 版)

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TA38」はドイツ海軍水雷艇トリエステで建造中であったイタリアのアリエテ級水雷艇スパーダ (Spada)」をイタリアの降伏により1943年9月にドイツが捕獲したものである[1]

トリエステC.R.D.A.で建造[1]。1943年1月9日起工[1]。1943年7月1日進水[1]。1944年2月12日就役[1]。「TA38」は魚雷発射管は3連装1基のみであった[1]

1944年2月12日から8月13日までの間に「TA38」は4回の護衛任務と11回の機雷敷設任務に従事した[2]

1944年2月12日、「TA38」は水雷艇「TA37」とともに機雷敷設作戦で護衛を務めた[2]

6月25日、「TA38」と水雷艇「TA38」はトリエステから空襲で大破した「TA22」の支援に向かい、「TA22」は曳航されてトリエステに戻った[2]

7月8-11日、機雷敷設作戦で「Kiebitz」を他の水雷艇などと共に護衛[3]。7月12-15日の「TA38」と「Kiebitz」、「TA37」による機雷敷設作戦では7月13日に「Kiebitz」が自身の機雷に触れ損傷した[4]。この作戦は「TA38」と「TA37」、「TA39」によって7月23-24日に再び実施された[3]。その後もこの3隻は24-25日、26-27日、27-28日に機雷敷設作戦に従事した[3]。8月2-3日には「TA39」などと、8月4日には「TA40」とイタリア沿岸への機雷敷設作戦に従事したが、後者は完了しなかった[5]。続いて7-8日には「Kiebitz」、「TA38」とともにウマグ沖への機雷敷設作戦に従事し、8月12日の機雷敷設作戦では「Kiebitz」などを掩護した[6]。8月12-13日は「Kiebitz」、「TA39」、「TA40」と、8月19日は「TA37」、「TA39」、「TA40」とともに機雷敷設作戦に従事[6]。8月27-29日に「Kiebitz」、「TA39」などと、9月8-9日に「Kiebitz」、「TA39」とともにイタリア沿岸への機雷敷設作戦に従事した[6]

9月、「TA38」と「TA37」、「TA39」の3隻は増援としてアドリア海からエーゲ海へ送られることになり、9月20日に3隻はトリエステを出港した[7]。9月22日、オトラント海峡を通過中にイギリス駆逐艦「ベルヴォア」および「ウェッドン」と遭遇し攻撃を受けたが、逃走に成功し損害は受けなかった[7]。9月24日、ギリシャピレエウスに到着[8]。3隻は第9水雷群に編入された[1]

9月28日、「TA38」と「TA18」、「TA37」、「TA39」は海軍の人員を乗せた「Zeus」、「Lola」とともにピレエウスを出港[2]。翌日船団はサロニカに着いた[2]

「TA38」と「TA39」は10月1日にスキロス島の北東に、10月2日にイドラ島・Georgios間に、10月3日にアモルゴス島沖に機雷を敷設した[9]。10月4-5日、「TA38」と「TA39」は「Zeus」をSunion岬沖からCaraliani沖まで護衛[10]。10月5日、「TA38」と「TA39」はケア島・Hagios Georgios間に機雷を敷設[10]。ピレエウスへの帰路、イギリスの機動艇[11]「HDML1227」を発見し、「TA39」が攻撃して沈めた[10][12]。10月6日、ピレエウス港に空襲があり、「TA38」は敵機1機を撃墜した[10]。10月7日、「TA38」と「TA39」が兵員輸送船「Anna」を護衛中敵魚雷艇と遭遇し、「TA38」はそれらに対して攻撃を行った[13]

10月8日、「TA38」と「TA39」は商船「Laudon」、「Engers」の護衛の護衛を命じられる[13]。日付が変わった後2隻はピレエウスへの帰途についたが、Makrouisi付近で「TA38」は座礁した[13]。付近には敵魚雷艇がいたものの気づかれず、「TA39」によって「TA38」はCavalianiまで曳航された[13]。続いて曳船に曳航されてハルキスへ向かった[13]。途中、索敵機2機が現れ、1機を撃墜[13]。次いでイギリス護衛空母「ストーカー」搭載機による攻撃を受けて損傷するも、ハルキスにたどり着いた[13]。この攻撃の際、1機が撃墜されている[13]。その後「TA38」はヴォロスへ移動したが、10月13日に同地で閉塞船として沈められた[13]。または、座礁後ヴォロスへ曳航され、10月12日(13日[1])に同地で「ストーカー」搭載機の攻撃により沈没[14]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『第二次大戦駆逐艦総覧』79ページ
  2. ^ a b c d e German TA Torpedo Boat at War, p. 140
  3. ^ a b c Adriatic Naval War 1940-1945, p. 534
  4. ^ Adriatic Naval War 1940-1945, p. 534, "Into History Under Three Names", p. 174
  5. ^ Adriatic Naval War 1940-1945, pp. 534-535
  6. ^ a b c Adriatic Naval War 1940-1945, p. 535
  7. ^ a b The German Fleet at War, 1939–1945, p. 176
  8. ^ The German Fleet at War, 1939–1945, p. 177
  9. ^ German TA Torpedo Boat at War, pp. 140-141
  10. ^ a b c d German TA Torpedo Boat at War, p. 141
  11. ^ 機動艇の出典は『第二次大戦駆逐艦総覧』79ページ
  12. ^ 「HDML1227」撃沈はThe German Fleet at War, 1939–1945, p. 177では10月6日、『第二次大戦駆逐艦総覧』79ページでは10月5日となっている。
  13. ^ a b c d e f g h i German TA Torpedo Boat at War, p. 144
  14. ^ Chronology of the War at Sea 1939-1945, p. 360

参考文献

  • M.J.ホイットレー、岩重多四郎(訳)『第二次大戦駆逐艦総覧』大日本絵画、2000年、ISBN 4-499-22710-0
  • Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval Institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2
  • Vincent P. O'Hara, The German Fleet at War, 1939-1945, Naval Institute Press, 2004, ISBN 1-59114-651-8
  • Pierre Hervieux, "German TA Torpedo Boat at War", Warship 1997-1998, Conway Maritime Press, 1997, ISBN 0-85177-722-8
  • Zvonimir Freivogel, Achille Rastelli, Adriatic Naval War 1940-1945, Despot Infinitus, 2015, ISBN 978-953-7892-44-9
  • Zvonimir Freivogel, "Into History Under Three Names: "Ramb III - Kiebitz - Galeb"", Warship International Vol. 43, No. 2, International Naval Research Organization, 2006, pp. 169-182



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