マリア・スラヴォナとは? わかりやすく解説

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マリア・スラヴォナ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 23:28 UTC 版)

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マリア・スラヴォナ
Maria Slavona
自画像
生誕 1865年3月14日
ドイツ, リューベック
死没 1931年5月10日
ドイツ, ベルリン

マリア・スラヴォナ(Maria Slavona :本名:マリー・ドレット・カロライン・ショーラー、Marie Dorette Caroline Schorer、1865年3月14日 - 1931年5月10日)は、ドイツの画家である。

略歴

リューベックに生まれた。父親は薬局店主、政治家でリューベックの飲み水の改善に功績があり、姉のCornelia Schorer はドイツの最初の女性医師の一人である。

1882年に17歳でベルリンに移り、個人の絵画学校で学んだ後、ベルリン美術工芸学校(Unterrichtsanstalt des Kunstgewerbemuseums Berlin)で学び1886年に卒業した。1887年にベルリン女性芸術家協会(Verein der Berliner Künstlerinnen)の教室で学び、教師のカール・シュタウファー=ベルンの影響を受けた。

1888年からミュンヘンに移り、エルドテルト(Alois Erdtelt)に学んだ後、ミュンヘンの女子美術学校でルートヴィヒ・ヘルテリッヒに学んだ。同時期に美術学校にはケーテ・コルヴィッツが学んでいた。ヘルテリッヒからフランスでの「印象派」の動きを教えられ、リューベックに戻った時に、比較的近いデンマークや北欧の若い画家たちと交流し、パリで学ぶ決心をした。

1890年にデンマークの画家ペテルセン(Vilhelm Petersen:1868-1923)とパリに移った。この時から、マリア・スラヴォーナの名前で活動することになった。ペテルセンはWilly Gretorと名乗ることになった。このカップルからは後に女優、演劇の教師となるリリー・アッカーマン(Lilly Ackermann)が生まれた。

パリでは印象派の画家、カミーユ・ピサロの知り合いとなり、1893年に国民美術協会のシャン・ド・マルスでの展覧会(Salon du Champ-de-Mars)に男性の偽名Carl-Maria Plavonaで出展した。

パリでスイスの画商、オットー・アッカーマンと出会い、1900年に結婚した。1901年に「ベルリン分離派」の準会員として分離派の展覧会に出展した。1906年にリューベックに戻り、1909年からベルリンに住んだ。1913年にベルリン分離派の正会員となり、ベルリン分離派が分裂した後はマックス・リーバーマンの「自由分離派」(Freie Secession)に参加した。

1920年代後半から、健康が悪化し、1931年にベルリンで亡くなった。

作品

参考文献

  • Margrit Bröhan: Maria Slavona 1865–1931. Eine deutsche Impressionistin. Katalog. Sammlung Stiftung Bröhan, Berlin und Lübeck 1981.
  • Margrit Bröhan: Maria Slavona. In: Das Verborgene Museum. Teil I: Dokumentation der Kunst von Frauen in Berliner öffentlichen Sammlungen. Berlin 1987, ISBN 3-926175-38-9.
  • Wulf Schadendorf: Museum Behnhaus. Das Haus und seine Räume. Malerei, Skulptur, Kunsthandwerk (= Lübecker Museumskataloge 3). 2. erweiterte und veränderte Auflage. Museum für Kunst u. Kulturgeschichte d. Hansestadt, Lübeck 1976, S. 114
  • Vaterstädtische Blätter; Lübeck, den 18. März 1920, Artikel: Maria Slavona
  • Ulrike Wolff-Thomsen: Die Pariser Boheme (1889 - 1895): Ein autobiographischer Bericht der Malerin Rosa Pfäffinger, u. a. Abschnitt: II. Briefe von Rosa Pfäffinger an Maria Slavona; Verlag Ludwig, Kiel 2007, ISBN 978-3937719399
  • Kathrin Umbach: Die Malweiber von Paris. Deutsche Künstlerinnen im Aufbruch., herausgegeben von Helga Gutbrod anlässlich der gleichnamigen Ausstellung im Edwin Scharff Museum Neu-Ulm, Gebr. Mann Verlag, Berlin 2015, ISBN 978-3-7861-2749-9, S. 48–57



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