KERAと犬子の四次元ラヂオテクノスケ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/02 02:06 UTC 版)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2014年3月) |
KERAと犬子の四次元ラヂオテクノスケ | |
---|---|
ジャンル | トーク番組 |
放送期間 | 1991年10月12日 - 1992年3月28日 |
放送時間 | 土曜日 20:00 - 21:00 |
放送回数 | 19(ニッポン放送放送分) |
放送局 | ニッポン放送 |
ネットワーク | NRN |
パーソナリティ | KERA 犬山犬子 |
出演 | 富樫春生 |
テーマ曲 | Ultra Q(Child Of The Extasy Mix)(オープニング) Ultraman(Specium Beam Scratch Mix)(エンディング) |
提供 | プロデュース学院 明光商会 アートネイチャー シュガーアイランドグループ |
『KERAと犬子の四次元ラヂオテクノスケ』(けらといぬこのよじげんらぢおてくのすけ)は、ニッポン放送で1991年10月12日から1992年3月28日まで放送された番組である。
概要
パーソナリティはKERAと犬山犬子。「四次元の空間を突き抜け聴こえてくる未来のラジオ。」をコンセプトに前衛的な内容で固められた番組である。合間にはニッポン放送の他の番組のジングルや近年のボーカロイドに通づる機械音声(ボイスチェンジャーなどを使用[1])によるおしゃべりなどが挿入されていた。
まだインターネットが普及していなかった1991年当時、リスナーからのお便りの募集をパソコン通信(ニフティサーブ、EYE-NET)の電子メールで呼びかけるという異質な構成であり、このような体制でどこまでリスナーと遊べるか挑戦するという番組だった[1]。
ニッポン放送では番組中盤に本物の交通情報が生放送で挿入された。はがきの募集はこの番組宛ではなく、他のニッポンの放送の番組を宛先としていた。
1991年10月26日、1992年2月15・22・29日・4月4日は裏送り。
ゲスト
※回数はニッポン放送放送分基準。[要出典]
ネットしていた局
脚注
ニッポン放送 土曜ナイターオフ 20時台 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
1990年度 SHINE'SのTOKYOカラオケHITクラブ | 1991年度 KERAと犬子の四次元ラヂオテクノスケ | 1992年度 ラジオブロンクス〜世界でいちばん危険な夜〜 |
- KERAと犬子の四次元ラヂオテクノスケのページへのリンク