ヨハン・カール・ウルリッヒ・ベールとは? わかりやすく解説

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ヨハン・カール・ウルリッヒ・ベール

(Johann Karl Bähr から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/02 23:12 UTC 版)

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ヨハン・カール・ウルリッヒ・ベール
Johann Karl Ulrich Bähr
自画像
生誕 1801年8月
リトアニア, リガ
死没 1869年9月29日
ドイツ, ドレスデン

ヨハン・カール・ウルリッヒ・ベール(Johann Karl Ulrich Bähr、1801年8月18日[1] - 1869年9月29日)はドイツの画家である。ドレスデンの美術学校(後のドレスデン美術大学)で教え、文学者のルートヴィヒ・ティークの芸術家サークルの一員として活動した。

略歴

現在のリトアニアリガの商人の家に生まれた。父親の反対を受けたが、画家になる道に進み、1824年にドレスデンの美術学校に入学した。美術学校ではアルテ・マイスター絵画館の館長でもあったヨハン・フリードリヒ・マテイに学んだ。1825年にはパリに移り、風景画家のジャン=ヴィクトール・ベルタンに学んだ。パリでジャン=バティスト・カミーユ・コローと知り合い、コローと1826年までローマに旅した。1927年から1929年にもローマに旅し、デンマークの彫刻家、ベルテル・トルバルセンやチロル出身の風景画家、ヨーゼフ・アントン・コッホと知り合った。

婦人に説教するヤン・ファン・ライデン

肖像画家として働き始め、1832年にドレスデンに定住し、歴史画も描いた。1929年に画商の娘と結婚したが、妻は早く亡った後の1832年に再びローマに移った。この時にはペーター・フォン・コルネリウスオラース・ヴェルネと知り合い彼らから影響を受けた。リガで働いた後、1836年にドレスデンに落ち着き、1840年から美術学校で教え始め、1846年に教授に任じられた。

ドレスデンでは文学者のルートヴィヒ・ティークを中心とする芸術家のサークルに加わり、詩人のユリウス・モーゼンらの友人となった。

ドレスデンで亡くなった。

孫に文学者のマンフレート・キューバ―(Manfred Kyber:1880-1933)や化学者のアルトゥル・ハンチュがいる。

作品

脚注

  1. ^ Eintrag im Taufregister der St.-Petri-Kirche zu Riga (lettisch: Rīgas sv. Pētera baznīca)

参考文献

  • Carl Clauß: Bähr, Johann Karl. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 1, Duncker & Humblot, Leipzig 1875, S. 769.
  • Bruno Sauer: Bähr, Johann Karl Ullrich. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 1, Duncker & Humblot, Berlin 1953, ISBN 3-428-00182-6, S. 519 (Digitalisat).
  • Frauke Josenhans: Baehr, Johann Carl. In: Bénédicte Savoy, France Nerlich (Hrsg.): Pariser Lehrjahre. Ein Lexikon zur Ausbildung deutscher Maler in der französischen Hauptstadt. Band 1: 1793–1843, de Gruyter, Berlin/Boston 2013, S. 8–10.



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