ディルムンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ディルムンの意味・解説 

ディルムン

(Dilmun から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 22:28 UTC 版)

ディルムン(Dilmun[1])は、メソポタミア文明において交易相手、原料の産地、メソポタミア文明とインダス文明の物資の集散地などとして記録されている土地の名前である[† 1]。ディルムンの正確な位置は明らかになっていないが、バーレーンサウジアラビアの東部地方、カタールオマーンペルシャ湾イラン沿岸部などと関連があると考えられている[3]。ディルムン文明の首都としてバーレーン要塞[4]およびディルムンの墳墓群[5](いずれもバーレーンに所在)は世界遺産に登録された。


注釈

  1. ^ メソポタミアは、ウルク期から対外交流を活発にして、イラン高原の陸上ルートと、ペルシア湾の海上ルートを開拓した。ディルムンは海上の貿易ルートにあたる。陸上ルートのイラン高原には原エラム文明があり、首都のスーサが栄えたが、スーサを攻撃されたためシャハダード英語版に首都を移してトランス・エラム文明が興ったとされる[2]
  2. ^ 現代の名刺における複数言語表記のように、インダス以外の人間が交渉相手のインダス人に読めるように自分の名を記したという説などがある[14]

出典

  1. ^ 世界大百科事典 第2版 ディルムンとは”. コトバンク. 2018年1月6日閲覧。
  2. ^ 後藤 2015, p. 265.
  3. ^ a b Crawford 1998, pp. 5.
  4. ^ Qal’at al-Bahrain – Ancient Harbour and Capital of Dilmun” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2023年5月13日閲覧。
  5. ^ a b Dilmun Burial Mounds” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2023年5月13日閲覧。
  6. ^ a b 後藤 2015, p. 139, 150.
  7. ^ 後藤 2015, p. 140.
  8. ^ 後藤 2015, p. 185.
  9. ^ 後藤 2015, p. 181, 183.
  10. ^ 後藤 2015, p. 184.
  11. ^ Mojtahed-Zadeh 1999.
  12. ^ a b Larson 1983, pp. 50–51.
  13. ^ 後藤 2015, p. 241.
  14. ^ a b 後藤 2015, p. 197.


「ディルムン」の続きの解説一覧


このページでは「ウィキペディア」からディルムンを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からディルムンを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からディルムン を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ディルムン」の関連用語

ディルムンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ディルムンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのディルムン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS