カトリーヌ・ド・フランス (1428-1446)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カトリーヌ・ド・フランス (1428-1446)の意味・解説 

カトリーヌ・ド・フランス (1428-1446)

(Catherine of France, Countess of Charolais から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 06:09 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
カトリーヌ・ド・フランス
Catherine de France

称号 シャロレー伯爵夫人
出生 1428年
フランス王国シノン城
死去 1446年7月30日
ブルゴーニュ領ネーデルラントブリュッセル
埋葬 1446年8月
ブルゴーニュ領ネーデルラントブリュッセル、聖ミシェル・エ・ギュデュル大聖堂
配偶者 シャロレー伯シャルル
父親 フランスシャルル7世
母親 マリー・ダンジュー
テンプレートを表示

カトリーヌ・ド・フランスCatherine de France, 1428年 - 1446年7月30日)は、フランス王シャルル7世の娘で、ブルゴーニュ公シャルル(突進公)の最初の妻。夫が公爵家の嗣子だった時に死去したため、シャロレー伯爵夫人の称号を持つにとどまった。

生涯

シャルル7世と王妃マリー・ダンジューの間の第4子、次女として生まれた。1440年5月19日にサントメールにおいて、ブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)の唯一の嫡出子シャロレー伯シャルルと結婚する。夫婦はフランス王ジャン2世を共通の玄祖父とする遠縁の関係にあった。結婚契約は1438年9月30日にブロワにて署名が行われていた[1]。シャルル7世のフランス王家とブルゴーニュ公爵家は、百年戦争において長く対立関係にあったが、1435年にアラスの和約を結んだ[2]。この縁組は両家の和解のために行われたものだった。しかしカトリーヌは1446年7月にブリュッセルにおいて17歳で早世し[3]、8月に同市内の聖ミシェル・エ・ギュデュル大聖堂に葬られた[4]

脚注

  1. ^ Jean Dumont: Corps universel diplomatique du droit des gens. Band 3. Janssons à Waesberge, Amsterdam [u. a.] 1739, S. 58.
  2. ^ John Foster Kirk: History of Charles the Bold, Duke of Burgundy. Band 1. Murray, London 1863, S. 111–112 (PDF; 19,5 MB).
  3. ^ Prosper Brugière, baron de Barante: Histoire des ducs de Bourgogne de la maison de Valois, 1364–1477, S. 260–261.
  4. ^ Website der Kathedrale St. Michel et Gudule. Stand: 22. Juni 2008.

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カトリーヌ・ド・フランス (1428-1446)」の関連用語

カトリーヌ・ド・フランス (1428-1446)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カトリーヌ・ド・フランス (1428-1446)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカトリーヌ・ド・フランス (1428-1446) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS