カトリーヌ・ド・ブルゴーニュとは? わかりやすく解説

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カトリーヌ・ド・ブルゴーニュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/30 01:10 UTC 版)

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カトリーヌ・ド・ブルゴーニュ
Catherine de Bourgogne
オーストリア公

出生 1378年
ブルゴーニュ公国モンバール
死去 1426年1月26日
ブルゴーニュ公国ディジョン
埋葬 ブルゴーニュ公国シャンモル修道院
配偶者 オーストリア公レオポルト4世
  マクシミリアン・シュマースマン・フォン・ラッポルトシュタイン
家名 ヴァロワ=ブルゴーニュ家
父親 ブルゴーニュ公フィリップ2世
母親 フランドル女伯マルグリット3世
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カトリーヌ・ド・ブルゴーニュCatherine de Bourgogne, 1378年 - 1426年1月26日)は、ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディとその妻のフランドル女伯マルグリット3世の間の娘。前方オーストリアドイツ語版を治めるオーストリア公レオポルト4世の妻となった。ドイツ語名はカタリーナ・フォン・ブルグント(Katharina von Burgund)。

生涯

ブルゴーニュ公爵夫妻の第5子、次女として生まれた。長兄ジャン・サン・プールはブルゴーニュ公、次弟アントワーヌブラバント公、末弟フィリップはヌヴェールおよびルテル伯、姉マルグリットはバイエルン公ヴィルヘルム2世の妻、妹マリーはサヴォイア伯アメデオ8世(対立教皇フェリクス5世)の妻である。

1393年、レオポルト4世と結婚する。結婚に際してカトリーヌは婚資ドイツ語版を自由に運営することなど、夫から大幅に自立して暮らす権利を認められた。カトリーヌは両親の所領に隣接するアルザスに居を構え、まるでブルゴーニュ公爵家の代官と見えるほどに実家の利益のために所領経営を行った。カタリーナのこうした政治姿勢は、地元アルザスの貴族達からは悪感情をもって見られていた。

レオポルト4世とは間に子供の無いまま1411年に死別し、カタリーナは長く焦がれていた故郷に帰った。1414年、マクシミリアン・シュマースマン・フォン・ラッポルトシュタイン(Maximilian Smaßmann von Rappoltstein, 1450年没)と再婚した。死後、一族の眠るシャンモル修道院に葬られた。

参考文献

  • Brigitte Hamann: Die Habsburger. Ein biographisches Lexikon. Verlag Carl Ueberreuter, Wien, 1988, S. 234f.
  • Constantin von Wurzbach: Habsburg, Katharina von Burgund. In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. Band 6. Verlag L. C. Zamarski, Wien 1860, S. 401.

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