シンド・ガライとは? わかりやすく解説

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シンド・ガライ

(Antonio Gumersindo Garay Garcia から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 22:01 UTC 版)

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シンド・ガライ
ガリオネスとシンド・ガライ、1906年撮影。

シンド・ガライ(Sindo Garay、出生名:アントニオ・グメルシンド・ガライ・ガルシア (Antonio Gumersindo Garay Garcia)、1867年4月12日 - 1968年7月17日)は、サンティアーゴ・デ・クーバに生まれ、ハバナで死去したキューバトローバのミュージシャン、トロバドール(シンガーソングライター)。ペペ・サンチェスの弟子。トローバの四偉人のひとりであった。ガライは、スペイン人とアラワク族の血統を引いていた。

経歴

ガライは、ソンの時代の[1]トローバの楽曲の作家として、最も卓越した存在であり、その最良の作品群は何度となく歌われ、録音されてきた。「Perla marina」、「Adios a La Habana」、「Mujer bayamesa」、「El huracan y la palma」、「Guarina」をはじめ、多数の楽曲が、キューバの文化的伝統の一部となっている。「La tarde」などは、後代のアーティストたちによってもしばしば取り上げられている[2]。ガライは、楽譜は読むことができず、アルファベットすらようやく16歳で自学したほどであったが、他の人々が楽譜を書き留め、また録音が残された。生涯に作った楽曲は600曲に上るという[2]

長い間、ガライは長男のガリオネス(グアリオネクス:Guarionex)とデュオを組んで歌っていた。ほかにも息子2人と娘1人があり、いずれにもインディアン風の名を付けていた。

1890年代には、キューバ独立戦争に関わり、一時はイスパニョーラ島ハイチドミニカ共和国)への移住も考えた。実際に、移り住んだものの、妻とともに帰国し、1906年にはハバナに落ち着き、1926年には、リタ・モンタネール英語版たちの一座に加わってパリに巡業し、3ヶ月にわたって自作曲を歌った。彼はラジオの放送にも出演し、録音をおこない、近代化していく時代にまで生き延びた。ガライはしばしば、「ホセ・マルティフィデル・カストロの両方と握手した奴はそんなに多くないよ」と述べていた。古いトローバから新しいトローバの時代にまたがって生きたカルロス・プエブラは、ガライについて、「シンドは100歳の誕生日を何度もやったんだよ。金がなくなるたびにね!」と冗談を述べている[3][4]

脚注

  1. ^ コンパイ・セグンド(キューバ)”. Rimshot Co., Ltd.. 2020年3月28日閲覧。 “本来はトリオ・マタモロス、シンド・ガライといった「ソン」の時代のシンガーだった。”
  2. ^ a b SINDO GARAY シンド・ガライ / Antologia De Sindo Garay シンド・ガライ・アンソロジー”. Ahora Corporation. 2020年3月28日閲覧。
  3. ^ Sublette, Ned 2004. Cuba and its music: from the first drums to the mambo. Chicago. p298
  4. ^ de Leon, Carmela 1990. Sindo Garay: memorias de un trovador. La Habana. :90代となったガライが語るライフ・ストーリーをまとめたもので、16ページに及ぶ作曲作品のリストが付録となっている。



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