ダーティ・セブンとは? わかりやすく解説

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ダーティ・セブン

(A Reason to Live, a Reason to Die から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/18 15:17 UTC 版)

ダーティ・セブン
Una ragione per vivere e una per morire
監督 トニーノ・ヴァレリ
脚本 ラファエル・アスコナトニーノ・ヴァレリ
制作会社 RIZZOLI
上映時間 112分
製作国 イタリア
フランス
西ドイツ
スペイン
言語 イタリア語
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ダーティ・セブン』(原題:Una ragione per vivere e una per morire)は、1972年に製作されたマカロニ・ウェスタン(劇場未公開)。

あらすじ

南北戦争のさなかの1862年。北軍のペンブロークはある砦で部隊の指揮をとっていたが、独断でワードが率いる南軍に砦を明け渡したため処分を受け、隠れるようにして生活していた。ある出来事がきっかけで旧知の北軍の指揮官と再会、その指揮官はペンブロークに砦を取り戻す任務を与える。死刑囚の中から部下を選ばせ、ペンブロークは6人を選抜。旧知のエライも加わる。一行は砦に向かって出発、しかしエライ以外の面々は死刑を免れるために参加しただけで、ペンブロークに対し反抗的な態度をとり続ける。ペンブロークは、砦に南軍から奪った黄金が隠してあり、それを他の北軍の関係者は知らず山分けするという話を持ち出し、かろうじて反抗を静める。一行は砦と崖の間の吊り橋まで到着、ワードが吊り橋を切る前に潜入に成功。機関銃を奪取し、激しい戦闘となる。南軍は指揮官のワードを残して全滅。ペンブロークの仲間達もエライ以外は全員死亡。実はペンブロークが砦を明け渡したのはワードに息子を人質に取られたからだったが、ワードは人質を不当に殺しており、ペンブロークは恨みを込めてワードを斬殺。南軍の黄金の話は真偽不明で、ペンブロークとエライはそのまま姿を消した。

キャスト

※括弧内は日本語吹替(初回放送1978年7月22日 TBS

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脚注




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