1975年大韓民国の国民投票とは? わかりやすく解説

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1975年大韓民国の国民投票

(1975 South Korean constitutional referendum から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/04 09:00 UTC 版)

1975年大韓民国の国民投票(1975ねんだいかんみんこくのこくみんとうひょう、朝鮮語: 1975년 대한민국 국민투표)は、1975年2月12日に実施された大韓民国における国民投票である。


  1. ^ 緊急措置は第四共和国憲法第53条(大統領の緊急措置)に基づくもので第四共和国時代における民主化運動を弾圧する手段として悪用された。緊急措置第1号は、1973年12月から維新憲法の改正を目的に行われた改憲請願署名運動を封じる目的で布告された。1号の内容は以下の通りである。
    1.憲法を否定、反対、歪曲又は誹謗する一切の行為を禁止。
    2.憲法改正又は廃止を主張するか発議、提言又は請願する一切の行為を禁止。
    3.流言蜚語を流す一切の行為を禁止。
    4.上記の1.2.3.項で禁じた行為を勧誘、扇動、宣伝したり放送、報道、出版、その他の方法でこれを他人に知らせるような一切の行為を禁止。
    5.以上の措置に違反した者及びこの措置を誹謗したものに対しては裁判所の令状無しに逮捕、押収、捜索を行い、15年以下の懲役に処する。この場合には15年以下の資格停止を併科することができる。
    6.この措置に違反した者及びこの措置を誹謗したものは非常軍法会議(1号と同時に布告された緊急措置第2号に基づいて設置)において処断する。
  2. ^ 1974年4月に発覚した「民青学連事件」に関連した緊急措置で、全国民主青年学生総連盟とこれに関連する諸団体に関わる一切の行為を禁止、学生による集団示威行動(デモ)の禁止、この緊急措置に違反した学生や学校に対する退学、廃校処分を文教部長官に一任する。と言ったことが主な内容である。
  3. ^ 新民党総裁であった柳珍山が同年4月28日に死去したことを受け、後任の党総裁を決定するために行われた党大会である。柳珍山の死去と金泳三の総裁就任は、野党の世代交代を印象付けるものとなった。木村幹『韓国現代史 大統領たちの栄光と蹉跌』中公新書


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