龍門寺 (田原市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/14 23:25 UTC 版)
| 龍門寺 | |
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| 所在地 | 愛知県田原市田原町新町89 |
| 位置 | 北緯34度40分5.0秒 東経137度15分53.9秒 / 北緯34.668056度 東経137.264972度座標: 北緯34度40分5.0秒 東経137度15分53.9秒 / 北緯34.668056度 東経137.264972度 |
| 山号 | 蔵王山 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 南無釈迦牟尼仏 |
| 創建年 | 永正15年(1518年) |
| 開基 | 天庵和尚 |
龍門寺(りゅうもんじ)は、愛知県田原市田原町新町89にある曹洞宗の寺院[1]。山号は蔵王山[1]。本尊は南無釈迦牟尼仏[1]。
田原城下の寺下通りには東から城宝寺、慶雲寺、龍泉寺、龍門寺の4軒の寺院が並んでおり、龍門寺の東側の路地には城下町の出入口であることを示す木戸が設けられていた[2]。長興寺の末寺[1]。
歴史
中世
永正15年(1518年)、天庵和尚によって田原城の丑寅(北東、現在の田原市吉胡町木綿畑[2])に龍門寺が創建された[1]。天庵和尚は長興寺4世の模外和尚を開基とし、自身は2世となっている[1]。享禄年間(1528年~1532年)には伽藍が整備され、天文15年(1546年)には天庵和尚が野田の運昌寺に隠居した[1]。3世の関室和尚の代、天文16年(1547年)には松平竹千代(徳川家康)が人質となり、今川義元によって田原城が落城した[1]。
近世
文禄年間(1592年~1596年)、田原城下南端の堀之内にあった末寺の正祐寺を改修して移転した[3][1]。寛永6年(1629年)、鸑翁大鷟和尚によって本堂が建立された[1]。延宝7年(1679年)にも本堂が建立され、旧本堂は庫裏となった[1]。
境内
- 本堂
- 山門
- 鐘楼
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山門
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鐘楼
脚注
参考文献
- 太田鐥太郎『田原史』田原区、1935年
- 田原町文化財調査会『田原町史 中巻』田原町教育委員会、1975年
外部リンク
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