鹿児島県教育会館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/01 00:23 UTC 版)
鹿児島県教育会館(かごしまけんきょういくかいかん)は、鹿児島県鹿児島市下竜尾町にある建物。2025年(令和7年)8月に鹿児島市山下町から下竜尾町に移転した[1]。本項では鹿児島市山下町にあった1931年(昭和6年)築の歴史的建造物についても述べる[2]。
概要
鉄骨造5階建てで1階が駐車場、2階より上がオフィスである[3]。
旧館から引き続き、管理者の一般社団法人鹿児島県教育会館維持財団のほか、鹿児島県教職員組合、鹿児島県高等学校教職員組合、鹿児島県学校生活協同組合、鹿児島県教育用品株式会社、教職員共済生活協同組合鹿児島事業所、一般社団法人鹿児島県教職員共助会の全7団体が入居することとなった[3]。
- 所在地:鹿児島市下竜尾町3番1号[1]
旧館
鹿児島県教育会が昭和天皇即位の記念事業として山下町に建設した建物で、1931年(昭和6年)10月に完成した[2][4][5]。鉄筋コンクリート造り地下1階、地上3階、塔屋1階[2][4][5]。県が土地を提供し、国道10号を隔てた旧鹿児島県立図書館(現鹿児島県立博物館)と同様に県土木課営繕係が設計[5]。当初設計は技師の三上昇が担当し(1930年退職)、専任技師の畑村源次郎に引き継がれた[5]。
1945年(昭和20年)6月17日の鹿児島大空襲で内部を焼失[4]。ただ、平岡正三郎が空襲後の鹿児島市街地を撮影した写真では焦土の中に立つ姿が収められている[4]。戦後、鹿児島県教育会が解散して鹿児島県教職員組合などの事務所となった[4]。
建築様式は古典的様式からモダンムーブメントに移行する過渡期の貴重なものとされた[4]。文化庁の近代化遺産総合調査では三次調査物件となっていた[5]。しかし、老朽化が進み、鹿児島県教育会館維持財団が会館と敷地を東京の業者に売却し、マンション建設のため2025年9月にも解体されることとなった[2][4]。2025年8月下旬には日本建築家協会九州支部鹿児島地域会など3団体が財団の許可を得て見学会を開催した[2]。
脚注
- ^ a b “鹿児島県教育会館維持財団の移転のおしらせ”. 一般財団法人鹿児島県教育会館維持財団. 2025年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e “ほどなく、お別れです―昭和初期に建てられ、戦禍逃れた鹿児島県教育会館 9月の解体前に最後の見学会 跡地はマンションに…”. 南日本新聞. 2025年9月1日閲覧。
- ^ a b 小島健一. “次の100年を見据えた新たな教育会館~工事記録”. 南生建設. 2025年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g “大空襲をくぐり抜け、焦土からの復興とともに生きた「4大ビルの一つ」―歴史の証人は9月にも解体へ 鹿児島市・県教育会館 #戦争の記憶”. 南日本新聞. 2025年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e “94歳の鹿児島県教育会館! - 最後のおわかれ見学会”. 公益社団法人鹿児島県建築士会. 2025年9月1日閲覧。
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