骨儀とは? わかりやすく解説

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骨儀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/01 01:45 UTC 版)

骨 儀(こつ ぎ、生年不詳 - 617年)は、官僚本貫京兆郡長安県[1]。または天竺胡人であるという[2]

経歴

その性格は剛直で、その意志は堅固であった。開皇元年(581年)、隋が建国されると、骨儀は侍御史となり、その法による処断は公平で、権勢家の利害を避けることもなかった。仁寿4年(604年)、煬帝が即位すると、骨儀は尚書右司郎に転じた。大業年間、朝政は乱れて賄賂が横行し、およそ枢要の職にある者は、貴賤を問わず、家に金銀財宝を重ねていた。天下の士大夫で変節しない者のない有様だったが、骨儀は志を励まして常態を守り、断固として孤立していた。煬帝は骨儀の清貧を嘉して、京兆郡丞に抜擢した[1][2]

隋末にあって刑部尚書衛玄が京兆郡内史を兼領し、不正が行われると、骨儀によって正されることとなった。衛玄はこれを不都合としていたが、骨儀を傷つけることはできなかった。大業13年(617年)、軍が関中に入ると、衛玄は禍の及ぶのを恐れて、老病と称して事務に関与しなくなった。骨儀は陰世師とともに長安を守ろうとしたが、敗れた。骨儀父子は処刑され、その後嗣は絶えた[3][2]

脚注

  1. ^ a b 隋書 1973, p. 1149.
  2. ^ a b c 北史 1974, p. 2535.
  3. ^ 隋書 1973, pp. 1149–1150.

伝記資料

  • 隋書』巻39 列伝第4
  • 北史』巻73 列伝第61

参考文献




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