青木才次郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 青木才次郎の意味・解説 

青木才次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/25 07:31 UTC 版)

青木 才次郎(あおき さいじろう、1880年明治13年)12月21日[1] - 1954年昭和29年)12月6日[2])は、日本の実業家政治家貴族院多額納税者議員。幼名・龍間[1][3][4]

経歴

茨城県西葛飾郡、のちの猿島郡五霞村[1](現五霞町)で、先代・青木才次郎の長男として生まれる[1][3][4]。私立錦城中学校(現錦城学園高等学校)を経て[5]明治法律学校を修了した[1][2][4]。1919年(大正8年)家督を相続し才次郎を襲名した[1][3][4]

青木組を組織して土木建築請負業を営み[5]、茨城土木工業社長、水戸商工会議所議員などを務めた[1][2][3][4]

また、水戸市会議員、同参事会員、茨城県小作調停委員、同治水委員会委員、同耕地整理組合長などを歴任した[1][2][4]

1924年(大正13年)補欠選挙[6]で貴族院多額納税者議員に互選され、同年5月3日[7]に就任し1925年(大正14年)9月28日まで在任[2]。さらに、1932年(昭和7年)にも互選され、同年9月29日[8]から1939年(昭和14年)9月28日まで在任し、貴族院議員を通算2期務めた[2]。在任中は交友倶楽部に所属した[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』茨城1頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』183頁。
  3. ^ a b c d 『現代日本人名大辞典 昭和5年版』あて之部38頁。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録』第14版 上、ア43頁。
  5. ^ a b 『偉人の俤:銅像写真集』資料篇、339頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、32頁。
  7. ^ 『官報』第3508号、大正13年5月6日。
  8. ^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。

参考文献

  • 『現代日本人名大辞典 昭和5年版』東邦通信社、1930年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 田中修二監修・解説『偉人の俤:銅像写真集』資料篇、ゆまに書房、2009年(二六新報社昭和3~4年刊の複製)。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  青木才次郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青木才次郎」の関連用語

青木才次郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青木才次郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青木才次郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS