青山幸高
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 17:27 UTC 版)
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時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 寛永7年(1630年) |
死没 | 宝永3年(1706年9月14日) |
別名 | 藤蔵 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家光、家綱、綱吉 |
氏族 | 青山氏 |
父母 | 青山幸成 |
兄弟 | 幸利、幸通、幸正、幸高、堀親昌継室、 水谷勝宗正室、松平信久正室 |
妻 | 天方倶通娘 |
子 | 幸遐、幸度、天方成展、荒木政羽室、幸覃 |
青山 幸高(あおやま よしたか)は、江戸時代前期の旗本。幸隆[1]とも伝わる。
生涯
寛永7年(1630年)、摂津国尼崎藩初代藩主・青山幸成の四男として誕生した。父・幸成は寛永20年(1643年)に死去する前に次男・幸通、三男・幸正、四男・幸高にそれぞれ3000石、2000石、1000石を分与して青山三分家を創設し、2月16日に死去し、幸高は摂津武庫・川辺郡内1000石を分知され、別家を創設した。貞享3年(1686年)8月、走水奉行に任ぜられる。元禄14年(1701年)、家督を息子の幸遐に譲り、隠居料として米300俵を賜る。長男・幸遐には700石、次男・幸度には300石を分与した。
系譜
脚注
- ^ 『諸家系譜』第六十四 より。
出典
- 『寛政重修諸家譜』巻第172
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