霞城 (信濃国)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/22 01:20 UTC 版)
霞城 (長野県) |
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霞城(大室城)の石垣
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別名 | 大室城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 大室氏 |
指定文化財 | なし |
霞城(かすみじょう、かじょう)は長野県長野市にあった日本の城。別名、大室城。[1]
概要
現在の長野市松代町大室付近の豪族、大室氏の居城であった。
敵が攻めてくると、霞がかかったように見えなくなることからこの名がある。
大室氏は武田氏滅亡後、織田信長の家臣、森長可に仕えた。しかし森長可は本能寺の変で後ろ盾を失って撤退したため、その空白域に侵攻した上杉景勝に大室氏は従う。その後、豊臣秀吉の命による上杉氏の会津移封後、大室氏も会津に移った。
現在は、主郭部付近に石垣が残り、保存状態も良好。この付近でこのように堅固な石塁が残る山城は他に鞍骨城、鷲尾城、雁田城と数えるほどで珍しい。また近くには大室古墳群があり、前方後円墳が城郭の一部になっている珍しい城である。
参考文献
- 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年
脚注
- ^ “霞城跡 /【川中島の戦い】史跡ガイド”. 2022年1月15日閲覧。
関連項目
- 霞城_(信濃国)のページへのリンク