霊泉寺 (福岡県添田町)とは? わかりやすく解説

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霊泉寺 (福岡県添田町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/22 09:20 UTC 版)

霊泉寺
英彥山靈泉寺

所在地 福岡県田川郡添田町英彦山1240番地
位置 北緯33度29分8.6秒 東経130度54分8.3秒 / 北緯33.485722度 東経130.902306度 / 33.485722; 130.902306座標: 北緯33度29分8.6秒 東経130度54分8.3秒 / 北緯33.485722度 東経130.902306度 / 33.485722; 130.902306
山号 英彦山
宗派 英彦山修験道(天台宗修験道
寺格 本山
本尊 千手観音
創建年 伝・継体天皇25年(531年?)
開山 伝・善正上人
中興年 伝・弘仁10年(819年
中興 伝・法蓮上人
別称 英彥山無量壽院靈仙寺(廃仏毀釈までの名称)
札所等 九州西国霊場1番
法人番号 8290805007815
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霊泉寺(れいせんじ)は、福岡県田川郡添田町にある、英彦山修験道の本山。山号は英彦山。九州西国三十三箇所一番札所。

概要

北魏の僧・善正上人が彦山を練行の地と定め、洞窟で修行したという[1]。これにより、英彦山修験が成立した。その後、法蓮上人が中興したという。彦山から英彦山となったのは、霊元法皇院宣による。英彦山大権現を祀り、寺号を霊仙寺、院号を無量寿院と称した。神仏分離により、英彦山神社に改称した。廃された大講堂は英彦山神社奉幣殿(重文)となっている。かつては天台修験の本山派に属していた山だが、戦後、修験者により霊泉寺として復活した。

歴史

脚注

  1. ^ 彦山縁起

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