陽光院 (横浜市)とは? わかりやすく解説

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陽光院 (横浜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 16:11 UTC 版)

陽光院 ようこういん

山門と本堂
所在地 神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢中町11-9
位置 北緯35度28分40.8秒 東経139度36分33.0秒 / 北緯35.478000度 東経139.609167度 / 35.478000; 139.609167座標: 北緯35度28分40.8秒 東経139度36分33.0秒 / 北緯35.478000度 東経139.609167度 / 35.478000; 139.609167
山号 圓明山
院号 陽光院
宗派 曹洞宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 1700年
開山 天梁大和尚[1]
公式サイト 曹洞宗陽光院 横浜三ツ沢のお寺
法人番号 6020005000673
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陽光院(ようこういん)は、神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢中町にある曹洞宗の寺院。山号は圓明山。横浜市営三ツ沢墓地に隣接した場所にある。

歴史

1700年頃、神奈川七軒町今の青木橋辺りに開かれたお寺で、曹洞宗の大本山、永平寺三十七世石牛天梁大和尚(東山天皇勅賜本然圓明禅師)が開山

始め養老軒と称し、石牛天梁大和尚(本然圓明禅師)の隠棲所として建立された。後、金沢区伝心寺の末寺、陽光院の寺号を移したと言われる。

大正三年には敷地を売り払い今の三ツ沢南町に移転。その後、昭和二十年の横浜大空襲により全伽藍が焼失し、昭和二十三年、現在地の三ツ沢中町に再び移転。

永平寺の歴代住職が開山されたお寺として、陽光院は大本山永平寺の直末寺と言われる。

脚注

参考文献

  • 神奈川砂子
  • 横浜市史稿 619-631頁、横浜市役所、1932年
  • 神奈川区誌
  • 「保土ヶ谷宿 下䑓町 陽光院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ69橘樹郡ノ12、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763985/10 

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