長養寺 (土岐市)とは? わかりやすく解説

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長養寺 (土岐市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 01:15 UTC 版)

 長養寺
所在地 岐阜県土岐市泉町久尻998
位置 北緯35度21分45.90秒 東経137度10分43.75秒 / 北緯35.3627500度 東経137.1788194度 / 35.3627500; 137.1788194座標: 北緯35度21分45.90秒 東経137度10分43.75秒 / 北緯35.3627500度 東経137.1788194度 / 35.3627500; 137.1788194
山号 寿林山
宗派 臨済宗南禅寺派
本尊 聖観音菩薩
創建年 不詳
開山 幻住正証
開基 法輪祖門
中興年 寛文年間(1661~1673年)
中興 高岳祖昌
札所等 土岐郡三十三所巡礼三十二番
法人番号 4200005008469
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長養寺(ちょうようじ)は岐阜県土岐市泉町久尻にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は寿林山。

歴史

創建年代不詳。

開山は永保寺の果山正位の法嗣、幻住正証で、その没年が応永18年(1411年)10月であるためそれ以前の創建と考えられる。

一方で開基の名は法輪祖門と伝わるが、その没年が寛文4年6月(1664年)とかなりの開きがある。

寛文年間(1661~1673年)、虎渓山永保寺塔頭の徳林院六世の高岳祖昌が中興した[1]

元禄8年(1695年)に土岐郡三十三所巡礼が開かれた際は三十二番札所に選ばれた。

享保16年(1731年)3月に没した、三世の月海智珊は「円應金照禅師」の号を賜った。

明治3年(1870年)に十一世住持となった海應硯は、陶磁の水簸を水車に利用することを始めた。

久尻に住む陶工の菩提寺として、ともに栄えた寺である。

寺宝

岡田新右衛門作の花瓶・東利藤次作の香立一対・高岩禅英筆の陶工系図・過去帳

参考文献

  • 『土岐市史 2 (江戸時代~幕末)』 第十五編  江戸時代の宗教 第四章 徳川時代の神道政策 10 神社・寺院調 p374~p386 土岐市史編纂委員会 1971年

脚注

  1. ^ 多治見市史 通史編 上 p747



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