鎌田盛政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 17:46 UTC 版)
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時代 | 平安時代末期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)? |
主君 | 源義経 |
氏族 | 藤原北家秀郷流首藤氏庶流鎌田氏 |
父母 | 父:鎌田政清または鎌田政治 |
兄弟 | 盛政、光政、正近?、女子 |
鎌田 盛政(かまた もりまさ)は、平安時代末期の武将。源義朝の乳兄弟である鎌田政清の子(鎌田政治の子という説もある)。弟に鎌田 光政がいる。
経歴
弟・光政と共に軍記物語『源平盛衰記』に登場、義経四天王の1人として活躍するが、一ノ谷の戦いで早々に討死する。なお、光政は屋島の戦いで、平教経と戦い、討ち死にする。
『義経記』には政清の子として正近(まさちか)が登場し、正門坊(唱門坊)を名乗って牛若丸に出生の秘密を告げている。
盛政・光政兄弟の存在が書かれているのは『源平盛衰記』のみで、『平家物語』や『吾妻鏡』にその存在は記載されておらず、系図なども見られない。
関連項目
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