鈴木忠吉とは? わかりやすく解説

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鈴木忠吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/15 06:05 UTC 版)

鈴木忠吉

鈴木 忠吉(すずき ちゅうきち、1895年明治28年)12月9日[1] - 1962年昭和37年)1月25日[2])は、昭和時代の政治家実業家衆議院議員静岡県賀茂郡下田町長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中尉

経歴

静岡県賀茂郡下田町(現・下田市)に生まれる[3]。自宅は、江戸時代から続く廻船問屋「雑忠(さいちゅう)[4][注 1]」。父も明治末期と大正初期に当時の下田町長をつとめている。賀茂郡立中学豆陽学校を経て[要出典]慶應義塾大学部理財科に学ぶ[2]

下田町会議員、同町長(在任:1935年(昭和10年)2月 - 1936年(昭和11年)4月)を歴任[2]。ほか、全国貨物自動車運送事業組合理事、同静岡県組合理事長、下田船渠東海自動車各取締役、東海パルプ、伊豆合同電気各監査役、伊豆通運、東海自動車各社長を務めた[2]

1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙において静岡県第2区から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて出馬し当選[2]。議員在職中は人事調停、金銭債務調停、臨時戦時調停の各委員会の委員、大政翼賛会静岡県支部常務委員、翼賛会政調幹事鉄道委員をそれぞれ務めた[3]が、終戦後、公職追放処分により[5][注 2]1期目の途中で辞職した[2]

脚注

注釈

  1. ^ この家の当主・鈴木家は紀伊・和歌山の雑賀衆が先祖であることから屋号を「雑賀屋(さいかや)」と名乗るとともに、代々の当主は「忠吉」を名乗っていたことから、「雑賀屋」の「雑」と「忠吉」の「忠」で「雑忠」と呼ばれるようになった。
  2. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。

出典

参考文献




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