近露宿所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 18:46 UTC 版)
定家の参詣記などいくつかの中世参詣記には、近露にあった宿所についての記述がある。定家によれば「此の宿所、御所に近く田を隔つ」とあり、歌会の後で、輿に乗って退出し、川を渡って王子に参拝したとある。鳥羽院の長承3年(1134年)の御幸記にもこの宿所が登場し、季節外れの雷雨で雨漏りがしたせいで衣装が濡れたと述べられている。 これらの記述から、この宿所が、日置川左岸にある王子とは反対側、右岸にあったことが明らかであるが、1889年(明治22年)に南紀一帯を襲った台風水害で地形が大きく変化しており、精確な跡地の確定は難しい。王子の対岸にある薬師堂の側に古くから御所田(ごしょだ)と呼び習わされている場所があり、そこが跡地であるとわずかに推定できるのみである。
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