赤星重規
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 01:27 UTC 版)
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 九郎[1] |
官位 | 弾正少弼[1] |
氏族 | 赤星氏 |
父母 | 赤星政継[1] |
子 | 武規、新開治真[1] |
赤星 重規(あかほし しげのり)は、室町時代末期から戦国時代にかけての武将。肥後国国人[1]。赤星氏10代当主。
略歴
肥後菊池氏正統断絶後、菊池郡赤星村を本拠とし、菊池領内国人の指導に当たった[1]。文明13年(1481年)若くして万句連歌に参加する[1]。
永正2年(1505年)には菊池義武や阿蘇惟長の継嗣推戴の筆頭を務めた[1]。
脚注
- 赤星重規のページへのリンク