観音寺 (戸田市)
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| 観音寺 | |
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本堂
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| 所在地 | 埼玉県戸田市新曽1791 |
| 位置 | 北緯35度48分47.4秒 東経139度39分50.6秒 / 北緯35.813167度 東経139.664056度座標: 北緯35度48分47.4秒 東経139度39分50.6秒 / 北緯35.813167度 東経139.664056度 |
| 山号 | 龍宝山 |
| 院号 | 愛染院 |
| 宗派 | 真言宗智山派 |
| 本尊 | 如意輪観音 |
| 創建年 | 永徳3年(1383年) |
| 開基 | 桃井播磨守 |
| 札所等 | 足立坂東三十三観音 第18番 北足立八十八ヵ所 第70番 |
| 法人番号 | 3030005003083 |
観音寺(かんのんじ)は、埼玉県戸田市にある真言宗智山派の寺院。
歴史
1383年(永徳3年)、桃井播磨守(桃井直常か?)の開基である。桃井播磨守は戸田城の城主であり、娘の病気の平癒を観音菩薩に祈っていた。その甲斐あって、娘は無事に治癒することができた。桃井播磨守は、これに感謝し、観音菩薩を本尊とする寺を創建することになった[1]。
なお『新編武蔵風土記稿』によれば、1598年(慶長3年)寂の亮誉が開山で、1640年(寛永17年)没の庄和泉守秀永が中興開基としている[1][2]。
かつては、金剛院・多福院・薬王院・常楽院・福寿院・地蔵院・正蔵院・長泉寺の8か寺を末寺として擁していたが、現在は金剛院と多福院しか残っていない[1]。
1955年(昭和30年)頃まで大般若経の転読が行われていたが、現在は廃れている[1]。
文化財
- 建長の板碑1基(戸田市指定文化財 昭和44年4月10日指定)[3]
- 文禄の石灯籠2基(戸田市指定文化財 昭和44年4月10日指定)[4]
- 観音寺千体仏(戸田市指定文化財 昭和49年3月30日指定)[5]
- 文正の板碑1基(戸田市指定文化財 昭和54年4月1日指定)[6]
交通アクセス
- 戸田駅より徒歩12分。
脚注
参考文献
- 戸田市市史編さん室 編『戸田市史 民俗編』戸田市、1983年
関連文献
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