藤堂高行
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時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 天保6年9月8日(1835年10月29日) |
死没 | 安政6年6月24日(1859年7月23日) |
墓所 | 津市寒松院 |
官位 | 左京亮 |
藩 | 伊勢久居藩世嗣 |
氏族 | 藤堂氏 |
父母 | 藤堂高聴 |
兄弟 | 増銘子、高茂、高行、所刀禰、兎万子、 錦子、花都子、澤子、石子、高義 |
藤堂 高行(とうどう たかゆき)は、江戸時代後期の伊勢国久居藩の世嗣。官位は左京亮。
略歴
15代藩主・藤堂高聴の次男として誕生。
兄・高茂が早世したため嫡子となる。父の跡を継いで16代藩主になる予定であったが、家督相続前の安政6年(1859年)に早世した。代わって、一族から藤堂高邦が養子に迎えられ嫡子となった。

なお、没年に関しては『久居市史』によると、高行は文久3年(1863年)まで存命で、8月に死んだ父・高聴の後を追うように10月18日に没したと伝わる。
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