藤井勝之助とは? わかりやすく解説

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藤井勝之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/23 03:42 UTC 版)

藤井 勝之助(ふじい かつのすけ、1901年明治34年)1月1日 - 1984年昭和59年)12月13日)は、京都府出身の日本の実業家。得三郎商店(のちの株式会社龍角散)の婿[1]となり、2代没後に得三郎を襲名した。3代得三郎[2]

来歴

京都府出身で、旧制青山学院高等部を卒業した後に、三井物産に入社。その後、藤井得三郎商店に入り、養女(先代の妻の姪)の婿となり、家督を継ぎ、3代目得三郎を襲名。康男の父。康男が日本初の臨床試薬会社ヤトロン(現在のLSIメディエンス)の社長となると、自分は会長となる。のちに得三郎を襲名し、3代目となる。業界のことにつくした[3]

株式会社の3代目[3]。秋田の藤井玄淵から数えると、6代目である[4]

エピソード

  • 秋田で一番有名な民間薬といえば、龍角散。大曲で生まれました[5]
  • 本県では秋田藩士に藤井氏がある。常陸国那珂郡藤井郷発祥の佐竹氏族で、佐竹十代義篤の六男・義貫の子孫である。ほか京、大阪、関東からの入国諸家もあろう。大曲市の富商藤井家は常陸から佐竹を慕って久保田に入り、江戸中期に大曲に移ったとされ、竜角散を製造した医師・藤井玄渕がいる[6]

遠縁

出典

  1. ^ "父から子、子から孫へ。脈々と続く創業の精神 - 日本FBMコンサルティング"
  2. ^ [財界、1979年より]
  3. ^ a b "KANDAアーカイブ:百年企業のれん三代記"
  4. ^ "龍角散のルーツ"株式会社龍角散
  5. ^ 秋田の薬草とくすりの物語 〜秋田県立博物館〜、2016.06.23”. 2021年9月21日閲覧。
  6. ^ [丸山浩一著・あきた名字と家紋のP330、331]より。竜角散、玄渕は原文のまま

外部リンク




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