藤井六輔とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤井六輔の意味・解説 

藤井六輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:52 UTC 版)

藤井 六輔(ふじい ろくすけ、1874年2月15日 - 1931年5月25日)は、日本の舞台俳優[1]東京出身で、本名は田中陸助といい、俳名として彩峰、六漁を用いた[1]


  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus『藤井六輔』 - コトバンク
  2. ^ 『別册文藝春秋, 第121-122号』文藝春秋新社、1972年、309頁。"伊井の一座で一カ月働くと、藤井六輔が、見どころがあるから、ここで修行しないかと すすめた。藤井は伊井を崇拝して、日清戦争の時に、それまでの家業の魚屋の荷を、黙阿弥社言の「いかけ松」のように川にほうりこみ、満国の兵隊の役の募集に応じて、弟子に ..."。 
  3. ^ 『近代歌舞伎年表京都篇』国立劇場、1999年、302頁。"静間一座に加入する伊井蓉峰 … と共に加入したるは … 福島清・藤井六輔 ..."。  Google books - 「明治36年6月」の項
  4. ^ 永六輔 『昭和:僕の芸能私史』朝日新聞社、1999年、7頁。"新派の名脇役藤井六輔"。  Google books
  5. ^ 永六輔 『昭和:僕の芸能私史』朝日新聞社、1999年、151頁。"大矢市次郎が、「僕の師匠は藤井六輔だからね、同じ名前の六輔クンを大切にしよう」という ..."。  Google books
  6. ^ 『別册文藝春秋, 第121-122号』文藝春秋新社、1972年、290頁。"昭和六年にはまた、不平があって松竹を離れ、門弟の大矢や小堀を残し、藤井六輔と娘むこの友三郎だけをつれて、独立劇団「本国劇」を作り、公園劇場や市村座に出て、「荒神山」の清水次郎長や「河内山」などを演じた。そのあいだに、藤井を失っている …"。  - 引用箇所は伊井蓉峰についての記述。
  7. ^ a b 藤井六輔”. 日本映画データベース. 2016年7月31日閲覧。


「藤井六輔」の続きの解説一覧


このページでは「ウィキペディア」から藤井六輔を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から藤井六輔を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から藤井六輔を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤井六輔」の関連用語

藤井六輔のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤井六輔のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤井六輔 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS