菊池英彦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 菊池英彦の意味・解説 

菊池英彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 03:23 UTC 版)

菊池 英彦 (きくち ひでひこ、1884年11月23日 - 1972年11月[1])は、日本土木工学者、土木技術者。

経歴

士族菊池矢直の長男として[2]大分県直入郡玉来村(現・竹田市)に生まれる[1]。1904年福岡県立中学修猷館[3]、1907年7月第五高等学校工科[4]を経て、1910年7月東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業[5]

1910年7月、水力発電の起業促進に向け、全国的な河川調査を実施するために設立された、逓信省臨時発電水力調査局の技師となり、その後、1913年12月東京市技師、1916年4月岐阜県土木技師、1917年10月逓信局技師、1919年5月仙台逓信局水力課長などを経て、1923年逓信技師に任ぜられ、1924年逓信局技師を兼任し、1923年8月逓信省電気局水力課および東京逓信局に勤務する。1937年4月退官[1]

1937年5月球磨川電気取締役兼臨時建設事務所土木部長、1940年5月九州配電理事・建設部長、1942年6月日本発送電建設局土木建設部嘱託、1944年7月台湾電力事務嘱託を歴任[1]

1946年4月青山学院専門学校教頭兼教授に就任。1949年4月同校が青山学院大学に昇格すると、その工学部教授となる。1950年4月青山学院大学工学部が関東学院大学に譲渡され、関東学院大学工学部となると、その初代工学部長に就任する[6]。1956年3月定年退職後講師となり、1966年3月退職[1]

1935年6月勅任官、同年8月勲四等瑞宝章、1937年5月正四位に叙せられる[1]

出典

  1. ^ a b c d e f 伊藤槇次郎「菊池英彦先輩のご逝去を悼む」水力発電第121号(発電水力協会、1972年)85頁
  2. ^ 『人事興信録第10版』(人事興信所、1934年)キ-56頁
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員5頁
  4. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校、1936年)219頁
  5. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名176頁
  6. ^ 『人事興信録第18版』(人事興信所、1955年)キ-29頁



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  菊池英彦のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「菊池英彦」の関連用語

菊池英彦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



菊池英彦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの菊池英彦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS