菊水楼とは? わかりやすく解説

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菊水楼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/22 15:49 UTC 版)

表門
外観

菊水楼(きくすいろう)は、奈良県奈良市高畑町にある料亭。創業は1891年明治24年)で、同年建築の旧本館、1901年(明治34年)建築の本館、円成寺塔頭から移築された表門(1615年建築)と庭門は、2000年(平成12年)12月に国の登録有形文化財に登録されている[1][2]

運営会社は東京都千代田区に本社を置く株式会社プラン ドゥ シー(株式会社Plan・Do・See)[3]で、ホテル・レストラン・ウェディング等の事業を行っている企業である。

歴史

創業家である岡本家は大和郡山にて旅籠屋「菊屋」を経営していた[4]。世間の商流を読み大和郡山から現在の奈良市内へ奈良の中心が移動することを予測した[要出典]。当時の岡本善蔵は廃仏毀釈で売りに出される[要出典]興善院とその周辺の土地を数年かけて買収する[4]。岡本は菊水楼建造のために大和郡山の菊屋を売却した[要出典]

1889年(明治22年)から建設開始[4]。1891年(明治24年)7月1日|に完成する[4]表門は円成寺から移築し、本館も寺院の部材を使って宮大工により建築された。竣工時点では岡本卯三郎が当主であった[要出典]

1902年(明治35年)に新館(現在の本館)を増築の際、ビリヤード台を館内に設置した[4]。「菊水ホテル」を称した時期もあり、ベッドが置ける和洋折衷の部屋も用意した[5]

二代目の岡本暢良は、卯三郎から受け継いだ菊水楼を、戦時中も高級軍人を顧客にするなどの手法で盛業させた。歌人としても活動するなど、芸術を好み、書や絵画の蒐集もおこなった。三代目の岡本博行は、戦後の急激な欧米化と大衆化という難しい時代のかじ取りを最先端を取り入れることで乗り越えようとした。[要出典]

2015年に株式会社Plan・Do・Seeとの共同経営となる。

施設

レストランは本館「料亭」、かつて皇室宿泊のために建築された客室を改装したうなぎ「うな菊」[6]の2つ。

アクセス

脚注

  1. ^ 菊水楼本館 - 文化遺産オンライン
  2. ^ 菊水楼表門 - 文化遺産オンライン
  3. ^ プラン ドゥ シー
  4. ^ a b c d e 菊水楼130周年 - 菊水楼(「菊水楼の歴史」の箇所を参照)2022年2月27日閲覧。
  5. ^ “【まちの近代化遺産】明治の和風〝迎賓館〟 菊水楼”. 産経新聞. (2015年9月16日). http://sankei-nara-iga.jp/news/archives/927 2022年2月27日閲覧。 
  6. ^ うな菊



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