菅野善右衛門 (1853年生)とは? わかりやすく解説

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菅野善右衛門 (1853年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/15 09:42 UTC 版)

菅野 善右衛門(かんの ぜんえもん、1853年2月8日嘉永6年1月1日[1] - 1910年明治43年)6月19日[2])は、明治時代の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

菅野善三郎の二男として、のちの福島県伊達郡福田村(現川俣町)に生まれる[1]。兄吉太郎は夭折し、31代菅野善右衛門として家督を相続する[1]。9歳の時、吉田尚言の塾に入り漢学を修め、のち北洲と号した[1]1889年(明治22年)町村制の施行により福田村が成立すると同村会議員に当選し、ついで村長となり3期務める[1]信夫、伊達、安達三郡病院組織委員、三郡組合会議員、常設委員、福島県会議員、徴兵参事委員、伊達郡会議員、川俣絹織物工業組合長などを務め、1898年(明治31年)7月に村長を辞す[1]

1898年(明治31年)8月の第6回衆議院議員総選挙では福島県第1区から憲政本党所属で出馬し当選[1][2]。懲罰委員を務めた[1]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 山崎 1901, 203頁.
  2. ^ a b 衆議院、参議院 編 1962, 154頁.
  3. ^ 人事興信所 1928, カ207頁.

参考文献




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