船田城の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 03:48 UTC 版)
明応4年(1495年)6月、土岐元頼を擁立して、船田合戦を起こす。斎藤氏に恨みを抱いていた清洲の守護代「織田大和守家」当主の織田敏定の嫡子寛定に娘を嫁がせたことにより、尾張も巻き込んだ。 同年6月19日、一族の石丸利定・秀道らが斎藤方の西尾氏を破り、勢いに乗って、加納城を包囲するが、反撃に遭い戦死した。同年7月、政房方が味方の古田氏を攻めたことを受け、一族の石丸正信、馬場氏、国枝氏らを援軍に送るが敗れ、利光は船田城を焼き捨て、南近江の六角氏の許へ逃れた。同年9月に成頼はしぶしぶ、政房に家督を継がせた。
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