興禅寺 (尼崎市)とは? わかりやすく解説

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興禅寺 (尼崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 06:13 UTC 版)

興禅寺
所在地 兵庫県尼崎市浜田町1-7
位置 北緯34度43分55秒 東経135度23分53.5秒 / 北緯34.73194度 東経135.398194度 / 34.73194; 135.398194座標: 北緯34度43分55秒 東経135度23分53.5秒 / 北緯34.73194度 東経135.398194度 / 34.73194; 135.398194
山号 護国山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 建久元年(1190年)
開基 栄西
公式サイト 護国山興禅寺
法人番号 4140005011330
興禅寺
興禅寺 (兵庫県)
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興禅寺(こうぜんじ)は、兵庫県尼崎市にある唯一の臨済宗妙心寺派の寺院。付近の伊丹、宝塚地域にも、臨済宗妙心寺派寺院は無く、この地域において貴重な禅 臨済宗寺院である。

山号は護国山。本尊は釈迦如来。 市内で唯一の臨済宗妙心寺派寺院である。

現在の住職は、早稲田大学の教員であり、情報科学の研究者でもある。

さらに、宗教哲学(倫理)の研究者でもある。

主な研究は、「ICTを活用した坐禅の遠隔教育」

ドクター和尚としても有名である。(博士)Ph.D.(早稲田大学)

歴史

建久元年(1190年)日本での臨済宗栄西が開山したとされる[1]

山号は栄西の『興禅護国論』にちなんで「護国山」である。

足利義満を赤子の頃に興禅寺でかくまったとされている[2]

中興開山は、元禄年間(1688年 - 1704年)の盤珪である[3]

江戸時代までは、建仁寺派寺院であった。

建築物

本堂は桁行8軒の入母屋造りで、禅宗方丈形式という型をとられている[4]

山門横に配置する二階建ての建物は観音堂(会館)であり、書籍「千光燦々 栄西の道」で紹介されている興禅寺の本堂の説明は誤りである。本堂は木造平屋で、観音堂の奥にあり、さらに奥に書院、開山堂、経蔵を備える。

文化財

  • 達磨大師座像 (木像・興禅寺本堂)
  • 盤珪国師頂相(興禅寺開山堂)
  • 栄西禅師坐像(興禅寺開山堂)

脚注

  1. ^ 「明治12年寺院明細帳」(『地域史研究』第7巻第1号)による。
  2. ^ 「興禅寺史傳法」による。
  3. ^ 『大庄村誌』による。
  4. ^ 「尼崎の神社・寺院建築」による。

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