臨時党大会とPDSへの改称
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「ドイツ社会主義統一党」の記事における「臨時党大会とPDSへの改称」の解説
1989年12月8-9日、SEDは臨時党大会を開催した。ソ連共産党型の中央委員会・政治局・書記局から成る党組織は廃止され、党議長にギジを、3人の副議長にモドロウ、ベルクホーファーらを選出し、6人の執行委員会幹部会、指導部を含めて100人からなる執行委員会を設置していったん閉会した。16日には大会を再開し、党名を「社会主義統一党/民主社会党(SED/PDS)」と改名した。翌90年1月にはホーネッカー失脚を主導したクレンツやシャボフスキーらも党を除名された。「社会主義統一党」を残したのは党の分裂回避のためであったが、1990年1月21日にはベルクホーファー副議長ら40名が離党、一般党員数も170万にまで減少した。 臨時党大会でのグレゴール・ギジ議長 党本部から撤去されるSEDの党章(1990年1月23日)
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