聖母子 (ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、ワシントン)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 聖母子 (ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、ワシントン)の意味・解説 

聖母子 (ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、ワシントン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 05:36 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
『聖母子』
イタリア語: Madonna col Bambino
英語: Madonna and Child
作者 ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ
製作年 1420年から1423年頃
種類 板上にテンペラと金
寸法 95.9 cm × 56.5 cm (37.8 in × 22.2 in)
所蔵 ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

聖母子』(せいぼし、伊: Madonna col Bambino)は、イタリア国際ゴシック様式の画家、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノが1420年から1423年頃に制作した絵画である。板上にテンペラと金で描かれている。現在、ワシントンD.C.ナショナル・ギャラリーに所蔵されている。

国際ゴシック様式はヨーロッパ中に伝播し、イタリア全土にも広まったが、最初の偉大なウンブリアの画家ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの作品には特にこの様式が明らかである[1]

本作は、1420年の夏にフィレンツェに到着した画家が『東方三博士の礼拝』に取り組んでいた頃の、フィレンツェで最初に制作された作品の一つとして一般的に認識されている。本作は多翼祭壇画の中央パネルであった可能性があり、祭壇画の残りは現在では失われている[2]

記録されている最初の作品についての言及は、フィレンツェで作品を取得したかもしれない アレクサンダー・バーカー のコレクションからロンドンで競売にかけられた1874年のものである。他の数人の所有者を経た後、本作はデュヴィーン兄弟によって獲得され、1937年にサミュエル H. クレスに売却された。クレスは、1939年に作品を現在の所蔵元であるワシントンのナショナル・ギャラリーに最終的に寄贈した[3]

脚注

  1. ^ National Gallery of Art Washington, John Walker, 1995, pp.76-77 ISBN 0-8109-8148-3 2021年7月31日閲覧
  2. ^ Arduino Colasanti, 'Un quadro ignorato di Gentile da Fabriano', Bollettino d'Arte, 1, 1911”. 2021年7月31日閲覧。
  3. ^ Catalogue page”. 2009年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月31日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  聖母子 (ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、ワシントン)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「聖母子 (ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、ワシントン)」の関連用語

1
96% |||||

聖母子 (ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、ワシントン)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



聖母子 (ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、ワシントン)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの聖母子 (ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ、ワシントン) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS