耶律玦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 耶律玦の意味・解説 

耶律玦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 14:18 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

耶律玦(やりつ けつ、生没年不詳)は、(契丹)の政治家は吾展。

経歴

遙輦氏の鮮質可汗の末裔にあたる。重熙初年、国史の修撰のために召し出され、符宝郎に任命され、知北院副部署事に累進した。欽哀太后に気に入られて、枢密副使となり、西南面招討都監をつとめ、同僉南京留守事や南面林牙を歴任した。皇弟の秦国王耶律重元が遼興軍節度使となると、耶律玦はその下で同知遼興軍節度使事となって補佐した。重熙10年(1041年)、再び枢密副使となった。咸雍初年、北院副部署を兼ねた。耶律重元が西京留守となると、また耶律玦が補佐した。後に孟父房敞穏として召還された。

耶律玦は利殖を好まず、道宗はかれの清貧を知って、宮戸を賜った。また道宗は「契丹人で玦のように忠実な者はおらず、漢人ではただ劉伸がいるだけである。それも考えてみるに玦は伸に勝っている」と宰相に語った。西北諸部の治安が乱れたため、道宗は耶律玦を派遣して、綱紀を粛正させた。耶律玦は酒害のために死去した。

伝記資料

  • 遼史』巻91 列伝第21



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  耶律玦のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「耶律玦」の関連用語

耶律玦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



耶律玦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの耶律玦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS