羊続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 07:54 UTC 版)
羊 続(よう ぞく/よう しょく、生没年不詳[1])は、中国後漢時代末期の政治家、武将。字は興祖。兗州泰山郡平陽県の人。祖父は羊侵(浸)[2]、父は羊儒、妻は蛇邱氏あるいは星氏[3]。子に羊秘、羊衜、羊耽、孫に羊徽瑜、羊祜、羊琇など。
- ^ 142年-189年頃
- ^ 『後漢書集解』校補引侯康說,謂「侵」一作「浸」。『太平御覧』李郃別傳「司隸羊浸」
- ^ 『元和姓纂』巻5:後漢河內太守蛇邱惑生重濟北太守女適羊續。『康熙字典』:「南陽太守羊續,娶濟北星重女」,見《羊氏家傳》。双方の記述は類似性が見られ、「生重濟北太守女適(息子は済北太守の蛇邱重、娘は嫁いだ)」が「娶濟北星重女(済北郡の星重の娘を娶った)」と誤伝した可能性もある。
- ^ 『太平御覧』「羊續,字興祖,泰山人。為廬江太守,臥一幅布綯,穿敗糊紙以補綯。」
- ^ 謝承《後漢書》「羊續為南陽太守,志在矯俗,裳不下膝,彈琴出肘。」着物は下膝に届かず、肘を出して琴を弾いた(短い衣を着用した)。
- ^ 『太平御覧』謝承《後漢書》曰:羊續好食生魚。
- ^ 『太平御覧』《古今善言》曰:續出黃紙補袍以示使人。時人謠曰:「天下清苦羊續祖。」
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