幟子女王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 幟子女王の意味・解説 

幟子女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/21 03:19 UTC 版)

幟子女王(たかこじょおう、天保6年11月1日1835年12月20日) - 安政3年11月7日1856年12月4日))は、水戸藩第10代藩主・徳川慶篤の正室。有栖川宮幟仁親王の第1王女。12代将軍・徳川家慶の養女。幼称は線宮(いとのみや)。養女となったため、武家風に線姫ともいわれる。院号は線教院。諡号は順貞夫人


注釈

  1. ^ 大奥に入った線宮が大変な美人であったため、2度目の正室を亡くした将軍世嫡徳川家定の次の正室にどうかとの案が持ち上がり、7月に姉小路から斉昭にその旨の書状が遣わされた。何度かのやり取りの末、姉小路が「このことは自分の一存であるから安心されてほしい」との書状を遣わし落着した[1]。が、この一件で斉昭は姉小路および大奥の心証を悪くしたとされる。
  2. ^ 三田村鳶魚の『大名生活の内秘』「水戸侯斉昭の内寵」[2]では自殺したという風説を載せた上で、艶福家で知られた義父・徳川斉昭との間に何かあったのではないかとしている。山川菊栄の『幕末の水戸藩』[3]でも、実は自殺したという風説を載せ、子を産んだ古参の側室が強い女性で、慶篤を呼び立てて線姫に近づけないのでノイローゼになったのだとしている。

出典

  1. ^ 茨城県史編さん幕末維新史部会 編「新伊勢物語」 『茨城県史料 幕末編』1号、茨城県、水戸、1971年。doi:10.11501/9640670全国書誌番号:73016005  「新伊勢物語」 (徳川斉昭著 彰考館文庫所蔵) と「天保就藩記」「楓軒先生密策」「楓軒先生秘策」 (小宮山楓軒著 国立国会図書館所蔵) を収録したもの。
  2. ^ 三田村鳶魚「水戸侯斉昭の内寵」 『大名生活の内秘』早稲田大学出版部、1921年。 NCID BN14736364 
  3. ^ 山川菊栄 『覚書幕末の水戸藩』岩波書店、1974年。 


「幟子女王」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「幟子女王」の関連用語

幟子女王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



幟子女王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの幟子女王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS