第3回極東選手権競技大会の野球競技とは? わかりやすく解説

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第3回極東選手権競技大会の野球競技

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/09 08:38 UTC 版)

第3回極東選手権競技大会 > 第3回極東選手権競技大会の野球競技

第3回極東選手権競技大会の野球競技(第3かいきょくとうせんしゅけんきょうぎたいかいのやきゅうきょうぎ)では、1917年日本東京市で開催された、第3回極東選手権競技大会野球について記す。

日本代表として早稲田大学が出場した。フィリピン代表としてはフィリピン大学が出場した。

2試合中、日本が2勝し優勝した。

1回戦

5月10日に行われた。

淳宮皇子殿下、高松宮宣仁親王皇子殿下、山階若宮殿下が台覧した。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
早稲田大学 0 0 0 0 1 1 0 2 0 4
フィリピン大学 0 1 2 0 0 0 0 0 0 0
早稲田大学
打順守備選手
1[遊]加藤吉兵衛
2[三]佐伯達男
3[中]飯田五郎作
4[右]中島駒次郎
5[捕]市岡忠男
6[左]高松静男
7[二]池田豊
8[一]井上敏慧
9[投]岸一郎
フィリピン大学
打順守備選手
1[左]フーゴ
2[三]エスピナ
3[右]シーエラナン
4[捕]アールエラナン
5[一]ヒダルコ
6[二]カンセコ
7[中]アルバート
8[遊]アーテッチエ
9[投]バクライ

2回戦

5月11日に行われた。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
早稲田大学 0 0 0 1 1 0 0 0 0 2
フィリピン大学 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
早稲田大学
打順守備選手
1[遊]加藤吉兵衛
2[三]佐伯達男
3[中]飯田五郎作
4[右]中島駒次郎
5[捕]市岡忠男
6[左]高松静男
7[二]池田豊
8[一]井上敏慧
9[投]橋本隆造
フィリピン大学
打順守備選手
1[左]フーゴー
2[中]アルバート
3[右]シーエラナン
4[捕]アールエラナン
5[一]ヒダルコ
6[三]エスピナ
7[遊]アーテッチエ
8[二]カンセコ
9[投]イワニスト
打投アグラバ

日本人派遣選手

上記記載した他には、伊藤十郎、川島民蔵、臼井達、矢部和夫が派遣された。

出典

  • 飛田忠順『早稲田大学野球部史』明善社、1925年、232-234頁。 
  • 日本体育協会 編『オリンピックと日本スポーツ史』日本体育協会、1952年、122頁。 



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