竹園家 (男爵家)
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竹園家 | |
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本姓 | 藤原北家勧修寺流甘露寺家庶流 |
家祖 | 竹園用長 |
種別 |
公家(堂上格) 華族(男爵) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 | 東京府麹町区 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
竹園家(たけぞのけ[1])は、藤原北家甘露寺家庶流にあたる華族の男爵家[1]。いわゆる「奈良華族」の一家[2]。
歴史
甘露寺家当主甘露寺愛長の三男用長は、弘化元年(1844年)に奈良興福寺に入れられ宝掌院住職となったが、明治元年(1868年)に勅命により復飾を許され、翌2年3月に堂上格を与えられて一家を起こして12月に竹園を家号とした[3][1]。家禄は50石[4]。
明治9年の金禄公債証書発行条例に基づき家禄と引き換えに支給された金禄公債の額は、2457円1銭7厘(華族受給者中452位)[5]。
明治12年6月12日に愛長が死去し、その子康長が家督相続[3]。明治前期に康長の住居は、東京府麹町区有楽町にあった[6]。
明治17年(1884年)7月7日の華族令施行で華族が五爵制になると、翌8日に康長が男爵に叙された[2][1]。
しかし経済的に困窮し[7]、明治32年8月14日に爵位を返上した[2][注釈 1]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 森岡浩 2012, p. 296.
- ^ a b c 小田部雄次 2006, p. 340.
- ^ a b c 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 36.
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1985, p. 29.
- ^ 石川健次郎 1972, p. 66.
- ^ 石井孝太郎『国立国会図書館デジタルコレクション 明治華族名鑑』深沢堅二、1881年(明治14年) 。
- ^ a b 小田部雄次 2006, p. 71.
参考文献
- 石川健次郎「明治前期における華族の銀行投資―第15国立銀行の場合―」『大阪大学経済学』第22号、大阪大学経済学部研究科、1972年、27 - 82頁。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『昭和新修華族家系大成 別巻 華族制度資料集』霞会館、1985年(昭和60年)。ISBN 978-4642035859。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年(平成8年)。ISBN 978-4642036719。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
- 森岡浩『日本名門・名家大辞典』東京堂出版、2012年(平成24年)。ISBN 978-4490108217。
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