竇誕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/07 13:13 UTC 版)
竇 誕(とう たん、581年 - 648年)は、隋から唐にかけての官僚・政治家。字は光大。本貫は扶風郡平陵県。
経歴
竇抗の三男として生まれた。隋の仁寿3年(603年)、朝請郎に任じられた。義寧元年(617年)、大丞相府祭酒として召され、殿中監に転じ、安豊郡公に封じられ、李淵の次女(後の襄陽公主)を妻とした。義寧2年(618年)、李世民に従って薛挙に対する征戦に従い、右元帥府司馬となった。武徳3年(620年)、刑部尚書に任じられた。武徳4年(621年)、太常寺卿・上柱国に転じた。李淵の諸子でまだ幼い者たちの家事をつかさどった。
貞観元年(627年)、使持節・都督梁集洋巴興壁六州諸軍事・梁州刺史として出向した。貞観2年(628年)、殿中監に転じた。貞観4年(630年)、右領軍衛大将軍に任じられた。この年に大理寺卿に転じた。貞観9年(635年)、太廟を修築して、莘国公に進封され、食邑3千戸を授けられ、5百段の織物を受けた。貞観18年(644年)、病気のため免職され、宗正寺卿となった。病のために受け答えに支障があり、失態が続いたので、太宗(李世民)の命により光禄大夫として致仕し、長安県輔興里の邸に隠居した。貞観22年(648年)2月、死去した。享年は68。工部尚書・荊州都督の位を追贈された。諡を安といった。
子女
子
- 竇孝徳(後嗣)
- 竇孝立
- 竇孝沖
- 竇孝臻
- 竇孝誠
- 竇孝果
- 竇孝諶(竇徳妃の父)
- 竇孝礼
女
伝記資料
- >> 「竇誕」を含む用語の索引
- 竇誕のページへのリンク