稲波弘次とは? わかりやすく解説

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稲波弘次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/29 13:01 UTC 版)

稲波弘次
個人情報
国籍日本
生誕 (1908-12-01) 1908年12月1日
富山県
死去 (1983-12-21) 1983年12月21日(75歳没)
スポーツ
競技馬術

稲波 弘次(いななみ ひろつぐ、1908年12月1日 - 1983年12月21日[1])は、日本の陸軍軍人、馬術選手。

経歴

1929年(昭和4年)7月、陸軍士官学校(41期)を卒業し、同年10月、騎兵少尉任官[2]

1936年ベルリンオリンピック馬術競技の2種目(障害飛越、総合馬術)に出場した[3]。結果は、障害飛越では35位、総合馬術では失権であった。障害飛越では朝富士という名前の馬に騎乗し、総合馬術ではギャロッピングゴーストという名前の馬に騎乗した[注釈 1]

1920年にローマ東京間飛行英語版を成功させたイタリア人飛行士(アルトゥーロ・フェラーリンなど)の世界初の偉業をたたえ、イタリア王妃に送られた記念帖に、稲波が12歳の時に描いた絵が収められている[4]。この記念帖には、他に後に画家となった田中孝(田中一村)、細谷達三や鉱山技師となった仲倉仙太郎(映画監督仲倉重郎の父)、建築家となった吉村順三の作品も収められている[5]

息子は医師の稲波弘彦である。稲波弘彦氏は、上記記念帖の発見に驚き、上記サイトを立ち上げている[4]

注釈

  1. ^ なお、Olympediaなどでは、総合馬術に出場したのは岩橋学となっている。

出典

  1. ^ 歴史が眠る多磨霊園 稲波弘次
  2. ^ 『陸軍士官学校』241頁(氏名は「稲葉弘次」と記載)。『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』489頁。
  3. ^ "Hirotsugu Inanami Olympic Results". Sports-Reference.com. Sports Reference LLC. 2020年4月16日閲覧
  4. ^ a b 稲波弘次 様(当時12歳)の作品
  5. ^ 記念帖1920 作者紹介

参考文献

  • 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

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