秦鼎
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秦 鼎(はた かなえ、1761年5月12日(宝暦11年4月8日) - 1831年8月8日(天保2年7月1日)[1])は、江戸時代の漢学者。字は士鉉。通称、嘉奈衞。滄浪、小翁、夢仙と号した。父は刈谷藩の儒者の秦峨眉。
美濃の人。父に従い家学を承け、さらに細井平洲に学ぶ。尾張藩の藩校明倫堂の教授として活躍した。校勘に優れ、『春秋左氏伝校本』『国語定本』『世説箋本』などが、世に行われている。また、詩文を善し、能筆の誉れも高かった。しかし、その博識と驕慢は、毀誉褒貶を招き、やがて失脚した。天保2年(1831年)、71歳で死去した。
脚注
- ^ 『国書人名辞典 第4巻』岩波書店、1998年、p.35。
外部リンク
- 『春秋左氏伝校本 / 出版:秋田屋太右衞門等, 嘉永3年(1850年)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 秦鼎の著作『春秋左氏伝校本』。
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