真里谷信隆とは? わかりやすく解説

真里谷信隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/28 08:26 UTC 版)

真里谷 信隆(まりやつ のぶたか、? - 天文20年8月2日1551年9月2日[1][2])は、上総国戦国大名上総武田氏(真里谷家)の一族。真里谷恕鑑(信清)の子(庶長子[3])。峰上城、造海城椎津城城主。通称は、八郎太郎[1]。祥山全吉[1]。兄弟に、真里谷全鑑(武田大夫?)、弟に真里谷信応がいる。子に真里谷信政


  1. ^ a b c 『真里谷殿位牌継図』
  2. ^ ただし天文9年とする別系図もあり、黒田基樹もその可能性を示唆している。
  3. ^ 『上総武田家略系』、ただし、真里谷全方の子とする系図もあり。
  4. ^ 黒田基樹の研究に基づく。なお、佐藤博信は武田大夫を信応に比定する。
  5. ^ 『快元僧都記』
  6. ^ 『小弓御所様御討死軍物語』


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