田中朝三
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田中 朝三(たなか あさぞう、1885年〈明治18年〉5月1日[1][2]/9日[3] - 1955年〈昭和30年〉12月15日[4][3])は、大日本帝国の海軍軍人。最終階級は海軍軍医中将。海軍軍医学校校長を務めた。医学博士。埼玉県坂戸市出身。
生涯
1885年(明治18年)5月1日[1]、埼玉県入間郡大家村(現在の坂戸市)に生れる[5][3]。旧制川越中学校(現・埼玉県立川越高等学校)を卒業後[3]、1909年(明治42年)に千葉医学専門学校(現在の千葉大学医学部)を卒業し、1910年(明治43年)海軍軍医学校を卒業する。その後、海軍軍医となり、1923年(大正12年)アメリカのシカゴ大学へ留学[5]。帰国後、1926年(大正15年)東京帝国大学より医学博士号を授与される。
1933年(昭和8年)11月に海軍軍医少将へ昇進する[5]。その後、海軍軍医中将となり、1937年(昭和12年)12月1日に海軍軍医学校校長へ就任する。同職を1939年(昭和14年)11月15日まで務めた。その後、海軍省司令部に出仕となり、1940年(昭和15年)3月21日、予備役に編入となる[6][4]。その後も1944年(昭和19年)青島医学専門学校校長をを務めた[3]。
戦後は郷里で医業に従事した[3]。
栄典
出典
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