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田中朝三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/08 01:12 UTC 版)

田中 朝三(たなか あさぞう、1885年明治18年〉5月1日[1][2]/9日[3] - 1955年昭和30年〉12月15日[4][3])は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍軍医中将海軍軍医学校校長を務めた。医学博士埼玉県坂戸市出身。

生涯

1885年(明治18年)5月1日[1]埼玉県入間郡大家村(現在の坂戸市)に生れる[5][3]。旧制川越中学校(現・埼玉県立川越高等学校)を卒業後[3]、1909年(明治42年)に千葉医学専門学校(現在の千葉大学医学部)を卒業し、1910年(明治43年)海軍軍医学校を卒業する。その後、海軍軍医となり、1923年(大正12年)アメリカシカゴ大学へ留学[5]。帰国後、1926年(大正15年)東京帝国大学より医学博士号を授与される。

1933年(昭和8年)11月に海軍軍医少将へ昇進する[5]。その後、海軍軍医中将となり、1937年(昭和12年)12月1日に海軍軍医学校校長へ就任する。同職を1939年(昭和14年)11月15日まで務めた。その後、海軍省司令部に出仕となり、1940年(昭和15年)3月21日、予備役に編入となる[6][4]。その後も1944年(昭和19年)青島医学専門学校校長をを務めた[3]

戦後は郷里で医業に従事した[3]

栄典

出典

  1. ^ a b 日本醫籍録 昭和15年版 醫事時論社
  2. ^ 日本医籍録 医事時論社 編
  3. ^ a b c d e f g 『坂戸人物誌』 第1集、坂戸市教育委員会、1980年3月31日、184-185頁。doi:10.11501/12253887 (要登録)
  4. ^ a b 陸海軍将官人事総覧 海軍編 芙蓉書房 外山操 編
  5. ^ a b c 批判研究博士人物 医科 続篇 発展社出版部 井関九郎 著
  6. ^ 人事興信録 第14版 下 人事興信所 編



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