王稷とは? わかりやすく解説

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王稷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 02:22 UTC 版)

王稷(おう しょく、生年不詳 - 822年)は、唐代官僚

経歴

王鍔の子として生まれた。官を歴任して鴻臚少卿となった。父が節度使として出向していたとき、王稷は長安に留まって、家財を権臣に賄賂として贈った。広壮な邸宅を営み、宴遊に耽溺し、世論の非難を意に介さなかった。父が死去すると、王稷は父の遺表を取り換え、進上すべき銭物を隠したと家奴に告発された。宰相の裴度の弁護により、王稷は無罪となり、家奴のほうが処刑された。長慶2年(822年)、王稷は徳州刺史となったが、その財産を狙う横海軍節度使の李全略に殺害され、妻女を略取された[1][2]

子に王叔泰があった[3][4]

脚注

  1. ^ 旧唐書 1975, p. 4061.
  2. ^ 新唐書 1975, pp. 5170–5171.
  3. ^ 旧唐書 1975, p. 4062.
  4. ^ 新唐書 1975, p. 5171.

伝記資料

参考文献




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