玄風郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/19 04:38 UTC 版)
玄風郡(ヒョンプンぐん、현풍군)は、大韓民国大邱広域市達城郡の西南部にあった旧行政区画である[1]。現在の玄風邑・瑜伽邑・求智面・論工邑にあたる。
1914年4月1日に郡が廃止され、大邱府の郊外地域と合わせて達城郡となった。
歴史
- 新羅時代 - 推良火県または三良火県と呼ばれ、景徳王の時には玄驍と改称され火王郡に属した。
- 高麗時代 - 苞山県(苞山は琵瑟山の別名)と呼ばれ、1018年(顕宗9年)には密城郡に属し、1390年(恭譲王2年)には仇知山部曲を併合した。
- 1419年(世宗元年) - 玄風県に改称され現在の玄風面に属する県内面・西部面・馬山面・牟老村面、現在の論工邑に属する論工面・乞山面、現在の瑜伽邑に属する瑜伽面・東部面・雲満面・末亦村面、現在の求智面に属する求智面・沙洞面・烏舌面・山田面、現在の高霊郡開津面に属する津村面、牛谷面に属する沓谷面・旺旨面の17面を管轄して県監を置いた。
- 1895年6月23日(旧暦閏5月1日)- 玄風県が郡に昇格し大邱府に属した[2]。
- 1896年8月4日 - 慶尚北道玄風郡に改編した[3]。
- 1906年 - 玄風郡津村面を高霊郡開津面に、沓谷面・旺旨面を高霊郡牛谷面に編入し、現在の論工邑一部である星州牧蘆長面を編入した。
- 1911年10月2日 - 西部面を県内面に合併するなど面・洞を合併した[4][5]。
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慶尚北道令第8号 旧行政区画 新行政区画 西部面 県内面の一部 牟老面 馬山面の一部 東部面 瑜伽面の一部 乞山面 論工面の一部 沙洞面 求智面の一部 烏舌面、山田面 烏山面
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慶尚北道令第2号 旧行政区画 新行政区画 玄風郡県内面、馬山面 達城郡玄風面 玄風郡瑜伽面、雲満面、末亦面 達城郡瑜伽邑 玄風郡求智面、烏山面 達城郡求智面 玄風郡論工面、蘆長面 達城郡論工面
地名の変遷
求智
新羅時代の仇知山部曲が高麗の時に玄風県に合併され、朝鮮時代の時に求智に改称された。
玄風
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玄風の元々の漢字表記は「玄豊」だった。현풍이 密城郡의 속령일 때, 胥吏들이 사욕에 눈이 멀어 백성을 속이고 도탄에 빠뜨려 전답이 거칠어지고 민심이 걷잡을 수 없게 되었다는 사실을 観察使가 朝廷에 알리니 나라에서 「玄豊」을 「玄風」으로 개칭토록 하였다. 관리의 교화가 미치는 곳마다 바람처럼 道義心이 확산되어 善化되라는 뜻에서 "風"자로 개칭한 것이라고 한다.
変遷項目
以前の行政区画 | 存続時 | の状況 | 次の行政区画 |
---|---|---|---|
八道制 慶尚道 |
二十三府制 大邱府 |
十三道制 慶尚北道 |
|
玄風県 | 玄風郡 | 達城郡 | |
大邱都護府 | 大邱郡 → 大邱府 | ||
大邱府 |
脚注
関連項目
- 玄風郭氏
- 大邱府 (1895年)
- 慶尚北道 (日本統治時代)
- 大邱府 (1910年)
- 達城郡
- 玄風郡のページへのリンク