牛尾氏_(下総国)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 牛尾氏_(下総国)の意味・解説 

牛尾氏 (下総国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 01:34 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

牛尾氏(うしおし)は、下総国牛尾郷(現在の千葉県香取郡多古町)を本拠とした氏族

概要

牛尾氏は分かっている系譜だと胤善流牛尾氏胤清流牛尾氏に分かれる[注 1]。胤善流牛尾氏は『千学集抜粋』によると、小弓原氏原胤親の五男の原胤善の子・胤資が牛尾氏を名乗ったことにはじまる。また、同資料によると、胤善が仁戸名村(にへなむら、現在の千葉市中央区)の長である伯父・岡田善阿弥の所に遊山に行った際、自分の子に岡田氏の娘婿・深山左京之亮の娘を娶らせる約束を交わしたが、その子が7、8歳の時に胤善が屋形(原胤親か)の命令により討たれたため、驚いた岡田氏は遺児に危害が及ぶことを恐れて牛尾郷の福萬寺へ預け置いた。その後40~50年経った頃に、子供だったその人物は原胤房の命を受け召し出され、牛尾彦七郎と名乗ったという[注 2]。しかし、それ以前にも『神代本千葉系図』は原朝房の曾孫として牛尾五郎泰親を載せており、胤資以前にも関東に牛尾を名乗る氏族がいたことを示している。また、胤資には3人の息子がおり、それぞれ牛尾氏を継承しているほか、胤資の長女は高城和泉守室となり、主に松戸市近辺を治めた下総高城氏とも関係を持っていたことが分かる。なお、当胤善竜牛尾氏の牛尾胤資の三男である牛尾三郎左衛門某は、本家とは別に仁戸名牛尾氏という分家を作り、この分家も2代までは続いていたことがわかっている。胤清流牛尾氏は小弓原胤清の次男・胤直が牛尾を名乗り、その子息の胤仲が継承している[注 3][2]

系譜

胤清流牛尾氏系図

小弓原胤清
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原胤貞牛尾胤直
 
 
 
 
 
 
胤仲

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 不完全な系図も含めると九州千葉氏に伝わっていた系図『神代本千葉系図』の原親胤(胤親とは別人)流牛尾氏も存在し、同系図によると初代は牛尾泰親。[1]
  2. ^ さらに牛尾美濃入道胤資はこの彦七郎であるとの記述も見られる。
  3. ^ 千葉庄池田郷北斗山金剛授寺尊光院に寄進された妙見大菩薩御宝前の釣燈籠の銘にも牛尾和泉守平胤智の名が見え、他にも牛尾胤道、同胤貞、同平右衛門、同大膳亮、同兵部少輔、同右近太夫など数多くの系譜が不明な牛尾氏族が見える。

出典

  1. ^ 千野原 2017, p. 14.
  2. ^ 千野原 2017, pp. 51-55.

参考文献

  • 千野原, 靖方『下総原氏・高城氏の歴史〈上〉第1部 原氏』たけしま出版〈手賀沼ブックレット〉、2017年7月、初版。「本土寺過去帳、長福寺過去帳、千葉県資料、神保文書、千葉大系図、千学集抜粋、神代本千葉系図」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「牛尾氏_(下総国)」の関連用語

牛尾氏_(下総国)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



牛尾氏_(下総国)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの牛尾氏 (下総国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS