熊野八幡神社 (各務原市神置町)とは? わかりやすく解説

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熊野八幡神社 (各務原市神置町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/02 09:48 UTC 版)

熊野八幡神社
所在地 岐阜県各務原市神置町4丁目32番地
主祭神 速玉之男神、家津御子神、熊野久須毘命応神天皇
創建 昭和57年(1982年)[1]
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熊野八幡神社(くまのはちまんじんじゃ)は、岐阜県各務原市神置町に鎮座する神社

概要

各務原市神置町の氏神である。

神置町はかつては羽栗郡間嶋村であった。間嶋村の東部は熊野神社を鎮守とし、西部は八幡神社を鎮守としていたため、事実上は東と西とは異なる村であった。住民の対立が激化し、1874年(明治7年)に東間島村と西間島村に分立する事態となったが、翌年に合併し、神置村となった経緯がある。この熊野神社と八幡神社を合祀し、1982年(昭和57年)10月31日に熊野八幡神社となる[2][3]

旧・熊野神社が熊野八幡神社であり、社殿は熊野神社のものを改築し、熊野神社と八幡神社の本殿を祀る。門柱、燈籠、狛犬などは旧来の熊野神社に加え、八幡神社のものを移築している。

旧・熊野神社

創建時期不詳。旧・村社。

旧・八幡神社

各務原市神置町3丁目に鎮座し、祭神は四柱(応神天皇仲哀天皇神功皇后白山大権現)であった[2]

霊亀2年(717年)、白鬚神社(各務原市川島笠田町に鎮座)の境内社として創建[2]天正14年(1586年)の木曽川の洪水の後、八幡神社は羽栗郡間嶋に移転[2]

跡地は神置町公民館、稲羽地区体育館となっている。また。八幡神社の拝殿と慰霊碑(太平洋戦争で戦没した八幡神社の氏子を慰霊。1964年建立。慰霊碑の上部には焼夷弾の不発弾を転用。)が残されている。

祭神

参考文献

  • 前渡歴史保存会 編『神社とお寺 各務原市稲羽地区編』前渡歴史保存会、2024年。 

脚注

  1. ^ 新法人「熊野八幡神社」の設立日
  2. ^ a b c d 八幡神社跡の碑文より
  3. ^ 前渡歴史保存会 2024, p. 16.

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