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渡辺仁治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/03 08:46 UTC 版)

わたなべ としはる

渡辺 仁治
生誕 (1924-06-06) 1924年6月6日
日本京都府京都市
死没 (2009-04-07) 2009年4月7日(84歳没)
出身校 金沢高等師範学校金沢大学)、京都大学
職業 陸水学者
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渡辺 仁治(わたなべ としはる、1924年6月6日 - 2009年4月7日)は、日本の陸水学者。元奈良女子大学教授。日本珪藻学会名誉会長。

来歴

旧制京都府立第三中学校(現・京都府立福知山高等学校)を経て、1948年3月に金沢高等師範学校生物科を卒業する[1]。1949年3月からは奈良女子高等師範学校文部教官[1]、1952年3月から奈良女子大学付属高校・中学校教諭となり[1]、1965年3月まで務める[1]

一方、研究活動では1953年1月より京都大学理学部大津臨湖実験所の院外研究者となる(1963年3月まで)[1]。この間、1961年7月に京都大学より理学博士号を取得した[1]

1965年4月より奈良女子大学理学部助手となる[1]。その後、1972年2月に同大学助教授[1]、同年3月に金沢大学教養部教授[1]。1975年4月に奈良女子大学理学部教授[1]。1988年4月より、関西外国語大学国際言語学部教授を務め[1]、2001年3月に退職した[1]

日本珪藻学会会長、瀬戸内海研究会議学術顧問、理事。新宮川、紀ノ川、大和川汚濁防止連絡協議会専門委員、環境庁瀬戸内海環境保全審議会委員、水圏生態研究会会長、顧問、奈良県環境審議会会長、奈良市環境審議会会長を歴任した[1]。日本珪藻学会誌『Diatom』の初代編集長である[2]

没後、正五位に叙される。

受賞等

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「渡辺仁治会長 : 略歴と業績リスト」『Diatom』第20巻、日本珪藻学会、2004年、1-8頁、doi:10.11464/diatom1985.20.0_1 
  2. ^ 浅井一視、伯耆晶子「渡辺仁治先生の御逝去を悼む」『Diatom』第25巻、日本珪藻学会、2009年、170-183頁、doi:10.11464/diatom.25.170ISSN 0911-9310NAID 1300050017882020年10月21日閲覧 

参考文献




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