浜劇とは? わかりやすく解説

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浜劇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/04 06:51 UTC 版)

浜劇
Hamageki
情報
正式名称 浜劇
開館 1958年
閉館 1962年
用途 映画館
所在地 愛知県碧南市山神町
位置 北緯34度54分03.5秒 東経136度59分10.9秒 / 北緯34.900972度 東経136.986361度 / 34.900972; 136.986361 (浜劇)座標: 北緯34度54分03.5秒 東経136度59分10.9秒 / 北緯34.900972度 東経136.986361度 / 34.900972; 136.986361 (浜劇)
最寄駅 名鉄三河線新川町駅
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1963年12月26日付け『中部新報』の映画上映作品案内。碧南浜劇のイラストが見える

浜劇(はまげき)は、愛知県碧南市山神町衣浦温泉街にあった映画館。1958年(昭和33年)に開館し、1962年(昭和37年)に閉館した。

歴史

前史

太平洋戦争中の1944年(昭和19年)には、碧海郡明治村東端地区の明治航空基地の将校をもてなすために、約5km西の碧海郡新川町に特殊飲食店街が設置された[1]。当時は知多湾衣浦湾)岸の埋立が進んでおらず、この地域は沖見園海水浴場に面していた[1]。終戦後にはパチンコや麻雀などの娯楽施設も立地し、この地域は花柳街(歓楽街)として発展した[1]。1956年(昭和31年)に売春防止法が制定される前、1954年(昭和29年)には温泉街(衣浦温泉)への転換を図り、同年に開業した料理旅館吉文を皮切りに、最盛期の1957年(昭和32年)には10軒もの旅館が営業していた[1]

開館

1958年(昭和33年)には愛知県道50号名古屋碧南線から西側に入った場所に映画館の浜劇が開館。浜劇は平屋建であり、270席の座席を有していた[1]。日本の映画館数がピークを迎えたのは1960年(昭和35年)であり、この年の碧南市には浜劇、新盛座新川キネマ寿々喜座三栄座の5館が存在した[2]

閉館

日本の映画館客数は1958年を境に減少に転じており、開館から5年後の1962年(昭和37年)には閉館した[1]。1961年(昭和36年)には新盛座が、1963年(昭和38年)には寿々喜座が閉館しており、最盛期の旧新川町域に3館あった映画館は1960年代半ばには姿を消している。ただし、『全国映画館録』の各年版には1970年代初頭まで浜劇の名前が掲載されている。

かつて碧南市にあった映画館

画像 館名 所在地 営業年
新盛座 碧海郡新川町 1887年-1961年
寿々喜座 旧碧海郡大浜町 1879年-1963年
浜劇 旧碧海郡新川町 1958年-1962年
三栄座 旧碧海郡棚尾町 1897年-1978年
新川キネマ 旧碧海郡新川町 1929年-1978年

脚注

  1. ^ a b c d e f 衣浦温泉街 トボトボ歩く 碧南市
  2. ^ 1960年の映画館(愛知県) 「消えた映画館の記憶」を参照した。元の出典は『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。

参考文献

  • 加藤良平(編著)、鈴木宗雄ほか(監修)『碧南の劇場 キネマ行進曲』自費出版, 1988年

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